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今年も直面「8月末に村八分」問題

私は、発達障害・神経障害をオープンにしているが、この時期は非常に憂鬱だ――

「感動ポルノ」のもう一つの問題に直面している

 近日は通院日だった。
カウンセリングの先生と悩みを話したり、同じ心の生きづらさを抱えている人たちとの悩み共有で一緒にコミュニケーションをとったりもした。
 あの番組の名前が出る。私もその番組によって非常にいやな気分にさせられることが多いので遠ざけているのだが、その理由というのは
「努力をしているのに認めてもらえない」
「生きづらさの本質を伝えてくれない」
「社会との壁がますます広くなった感じがする」
心の悩みや障害がある(LGBTやSOGIからくる心理的な生きづらさも含まれる)人たちからは「取り上げられないこと」に対するすごく苦痛の声を受け取ってくる。もちろん、「そっとしておいてほしい」という願いがある人もいる。
 以前TED Talksでスピーチをされていた故 ステラ・ヤングさんの提唱した「感動ポルノ」という言葉になぞらえると、彼女がなぜ「感動ポルノ」という言葉を使ったのだろうか、と改めて考え直してみると彼女は「自分の不本意であるのに、障害を利用されている」ことを問題視しているという趣旨が伝わりました。 つまりは、同意がないのに「モノ」として利用されているだけなら「障害者」が唱えている「MeToo」や「TimesUP」でしょうか。そう捉えると私にはしっくりくるのです。とならば、感動ポルノというより、感動ハラスメント?
 大学時代の人権の講義で初めて聞いたときに「あれ?それじゃあ、努力している障害者で努力しているアピールを自らしたいという人は…」という疑問を持ち、私もその立場に近かったのです。つまり、感動ポルノという存在は否定せず認めている方向です。
 ならばいっそのこと「おかして」みたいに言ってみたい気がします(それこそ「感動ポルノ」になぞらえた言い方ですが;前の記事参照)


 つまり感動ポルノというのは、発達障害・精神障害・LGBTQ+のアイデンティティからくる心の不調・そのほかのマイノリティは全然モノ扱いすらされず、つまり「モノ以下」、「燃え滓」「ゴミクズ」みたいな扱いをされてるのではないか、と考えると本当にぞっとする気持ちですよね。
 LGBTQ+のアイデンティティからくる心の不調に関しては、2012年度の24時間テレビで起こった性的アイデンティティに対する「ヘイト」だと受け取られた当事者がいたという流れもありました。
 以前のNoteにも、自分で書きましたが、「感動ポルノ」によって障害者カーストを作るのを助長させているような問題が潜んでいるのが明るみになった年度が2012年度の件でした。

 ますます闇が見えてきてしまった「感動ポルノ」問題。
今後も解決していかなければいけない社会問題に出会った気がします。

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