「私って〇〇なんだよね」は美しくない
「私って〇〇なんだよね」
たまに、そこまで親しくないのにこういった発言をする人がいる。
聞く側からすると「ふぅんそうなんだー(だからなに)」というやつだ。
おそらく本人としては
「自分はこういう特性があるから、何かあなたに不快な思いをさせたとしても悪気はないんですよ。」
という予防線を張ったつもりなのだろう。
あるいは自虐に見せかけた無意識のマウント(少し前に流行ったサバサバ系みたいな)なのか。
本人はそんなつもりはないのかもしれないが、言われた側はそういったニュアンスを感じる。
HSPはこの手の発言に繋がりやすいように思う。
なので自分はリアルな人間関係でHSP関連の発言をすることはないだろう。
ある程度お互いの為人を知るならともかく、関係の薄い人間にこのような主張をすることは、相手に自分への配慮を強制している(いわゆる構ってちゃん)ように思えて仕方ないのだ。
障害や病気に関して言っているのではない。
そういった特別な配慮が必要な場合は、もちろん初めから教えてもらった方がありがたいし、お互いのためである。
ただ、HSPに関して言えば、これは病気でも障害でもない。
"生き辛さを感じる繊細さん"なんて表現をされるが、それを全面に押し出して他者へ配慮を求めるのは違う気がするのだ。
同様に、人見知りという言葉を免罪符のように使う人がいる。
5歳児ならばかわいい。
しかし、いい大人が無愛想を人見知りと言い換えているのはどう考えても恥ずかしい。
厳しい言い方をすると、例え人見知りやHSPだとしても相手に失礼がないように取り繕うのが大人のあるべき姿であり、マナーだ。
もちろんあがり症だったり、他人に対して極度に緊張してしまう人もいる。
いつも同じような場面で失敗して、ますます苦手意識が強まってしまうこともあるだろう。
でも、どんなに苦手で逃げ出したくなってもやらねばならないときはある。
私〇〇だから(そこんとこヨロシク)という予防線は、美しくない。
自分はそれで言い訳をしたくない。
話は少し変わるが、血液型や星座、最近ではMBTIなどを、話のネタとして「自分〇〇っぽいとこあるんですよー」というのは全然ありだ。
「えー、意外!」
「言われないでもわかるわ!」
「いやそれお前だけだよ、〇〇のせいにするな笑」
などなど。
しかしこれもあくまで親しい関係性でないと難しい。お互いを知るからこそ盛り上がれるものだし、こういった話題を占い的なものとして嫌う人も一定数いるからだ。
場が盛り上がってるにも関わらず「それって科学的根拠ないし、単なる統計で人をカテゴライズするのは間違ってる」なんてことを言われると、お互いに楽しくない。
ちなみに自分はO型だが、表面的な付き合いの人にはA型と判断され、親しい人からはB型と思われることが多い。自分では非常にO型らしい性格をしていると思うのだが、なかなか面白いものだ。
閑話休題。
しかしHSPはこういったエンタメ的な扱いをするには重たい話題だ。
同じ思いを抱える、分かり合える人同士ならあるあるネタで盛り上がれるが、それ以外の人には理解されないし、理解してもらおうとするのは烏滸がましいと自分は思っている。
自分の取扱説明書としてHSPの特性を学ぶことは充分に有益であり、同じ思いをしている人が沢山いると知ることも大きな救いだ。
言い訳として使ったり、他者へ配慮を求めるのではなく、自分をうまく運用できるように学びたい。
noteはそのためのいい場となっている。
大学生の頃、「私それ食わず嫌いなんだよね」が口癖の子がいた。人が何かを食べているときや、あれ美味しそうだねー、なんて話題のときに、彼女はよくそう言っていた。
彼女はお世辞ではなく誰が見ても美人と判断するような美人で、頭もよくて、有名企業に就職した。
人当たりも面倒見もよく、同学年だったが一浪していたので"綺麗な頼れるお姉さん"的な存在だった。
人気者の彼女。
ただ、自分は彼女が食わず嫌いと言う度にモヤモヤした。
最近その原因がわかった気がする。
文章にすると当たり前でありきたりなことだ。
私〇〇なんだよね、というセリフは美しくない。
親しい間柄でない限り、こういった発言は避けた方が無難である、と。
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