見出し画像

“捨てる”覚悟

以前書いたこのnote。

本音をさらけ出せる相手というのは
どこかに共感を覚える人である。

そんなことに気が付いたお疲れ様会だった。

そして、
その人たちのすごいところが
自分の意志や想いをうまく言語化してくれるのだ。

それによって、
より自分が自分を知ることができるのである。


今回話をしていた中で、
一番印象に残っている言葉がこれだ。

“捨てる”覚悟がある人の信念は凄まじい

会を開いてくれた人たちは、
自分のことをものすごく応援してくれ
そして信頼してくれている。

その理由の一つが、
『竹川のぶれない真っ直ぐな信念』だそうだ。

そんな中で言語化された
捨てる”覚悟 というもの。


今の若い子たちは、
「あれもしたい、これもしたい」
「あれも欲しい、これも欲しい」と、

あらゆるものを手に入れようとし
それをいくつも抱えて生きている。

しかし、
自分の信念に沿って真っ直ぐ進む時、
必ずといって捨てなければならないものが出てくる。

ある種の“犠牲”といったところだ。

それが“捨てる”覚悟である。


こうした話を聞いたとき、 
確かに、
今のサッカー道に辿り着くために
犠牲にしてきたものはあったと感じた。

一番大きなものは、
教師(公務員)という〈立場〉である。

言い換えれば、絶対的な『安定』である。

それに伴って、
時間や経済力といったものも犠牲にしてきた。

しかし、
その犠牲にしてきたものすべてにおいて
何一つ後悔はしていない。

なぜなら、
自分の信念を貫くためには
必要な取捨選択だったからだ。

こうした考えや想いが、
その人の覚悟の度合いを表しているのかもしれない。


人生の岐路

そう感じる時がこれまでもいくつかあった。

その度に大きな決断を迫られてきた。

そして、
その決断と逆の道は捨てなければならない(と考えている)。

自分はあれもこれもと中途半端になるのは嫌いだ。

だから
100%を出し切った時に掴める範囲だけを掴んでいく。

そう、
掴んでいるものをすべて100%でやり切れないと意味がないのだ。

“捨てる”覚悟がある者には
信念を貫き通すという力が備わっている。

そう感じるのである。



柔軟性がなく、
アホらしくさえ感じられるこんな考え方、
あなたはどう思うだろうか?

自分はきっとずっとこうだろう。

でもだからこそ、
竹川を応援してくれている人は、
自分の姿や想いの強さに共感してくれているのかもしれない。

自分には黄色い声援はほとんどないが、
心から信頼し合えるサポーターたちがいるのだ。


これからも、
大事な決断をする時には
捨てなければならないものが出てくる。

しかし、
覚悟を決めて進んでいく度に
自分は少しずつ成長していけるのだと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?