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共感と言語化

南紀オレンジサンライズFCは
今シーズンの公式戦を終えた。

そして、
そのお疲れさま会として
信頼している方たちが食事に連れて行ってくれた。

自分を心から支えてくださっている方たち。
本当に身体も心も支えてもらっている。

そんな方たちと話をする中で、
おもしろい発見があった。


いつものように話をしていた。

自分は表裏のない人間だと
自分自身では思っている。

サッカーでも、
普段の生活でもSNSでも、
“竹川恭平”という人間であることに違いはない。

ただ、
心の底にある本音を
外に出すことはほとんどない。
(それが裏だと言われればそうだが)

しかし、
その人たちにはその部分をさらけ出せる。

今回はお互いにさらけ出し合った。

そして気がついた。

同じ価値観、同じ考え
を持っているからさらけ出せるんだと。

それぞれのエピソードは違うのに、
言いたいこと、求めていることの本質は全く一緒だったのだ。

共感

これほど強く感じたことは滅多にない。

『類は友を呼ぶ』とはよく言うが
本当にその通りだと感じた。

サッカーや農業、音楽、
そして自分自身の価値観や考え…

そうした自分を形成してるものたちを
誰かが共感してくれると
妙に安心感や喜びを感じる。

さらには、
共感してくれた人を信頼できるようになる。

この食事会で
そんな、よく考えれば“当たり前”のことを実感した。


もう一つ感じたこと、
それが言語化についてである。

自分は比較的、
対面であったり文章などを用いて
自分の考え、感情を言語化している。

ただ、
それのほとんどが対話ではなく
自分からの一方的な投げかけになっている。

だから、
読み手、聞き手から返しやコメントがこない限りは自分の言葉で終わっている。

しかしこの日、
自分がアウトプットした言葉たちを
彼らは違った言葉で言語化してくれた。

ワードセンスが抜群というか
その的確さが見事であり
自分が自分のことをより理解できたわけである。

その人たちがすごいといえばそれまでだが
誰かと本音で語り合う
そんな機会が大事であると実感した。


いろんなことを感じた食事会。

楽しい話から、
悩み相談、本音のぶちまけ…

誰とでもできる話じゃないからこそ
有意義すぎる時間となった。

とりあえず、

「ありがとう」と
「ごめんなさい」はきちんと伝える

教師時代に子どもたちに徹底させた一つであり、自分の信念。

その大切さを共感し合った。


この食事会で言語化された
『“捨てる”覚悟』という自分の幹は
また次回のnoteで書くことにする。



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