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逃げる夢、追う男。

「逃げる夢」
 目の前に座った男の人は、外したサングラスを拭きながら、少し恥ずかしそうに言った。
「逃げる夢をですね、追いかけるのが仕事なんです」

 ヤバい人だ。いや、店内ガラガラなのに突然相席いいですかなんてことを白昼に堂々とかましてくれる人なんて大概ヤバい人だと思うんだけど、ちょっとヤバいのレベルの違うヤバい人だった。
「夢は良いですよね。僕は、必死に逃げ惑う夢を追いかけるのが得意なんですよ。夢追い人ってやつですね」
 ギャグなのかガチなのか分からないけれど、表情は柔らかい。この前、美味しいケーキを出すカフェを見つけたんですよ、みたいな話をする口調でなんか怖いことを言っている。あと、夢追い人って絶対にそういう意味じゃないと思う。
「夢ってね、逃げるんですよ。あ、いえいえ、私が追いかけるから逃げるという意味ではありませんよ。確かに私、見た目はちょっと怖いかもしれませんけど」
 サングラス、オールバック、スーツ、黒ネクタイ。完全に逃走中に出てくるハンターの見た目だ。走ってこられたら、それは逃げるに決まっている。
「人間は夢を抱きます。小さな頃から大事に育てた夢は、その人間の脳内に居て、生命力の源になったりするわけなんですけどね。何かの拍子に、出てきちゃうんですよ、ココから」
 男はこめかみの辺りを指先でトントンと叩きながら、私を真っ直ぐに見つめてくる。
「ウサイン・ボルトのように速く走りたい、という夢を追いかけたことがあるのですが、いやぁ、ひどかった。なんせ純粋無垢な子どもが思い描くものですから、設定がガバガバでしてね。実物のボルトなんて目じゃない速度で走るわけです。ただ、妙なところで真面目な感じがありましてね、平らな道しか走りません。あの速度でパルクールされたらヤバかったです。さすがに塀の上とか屋根の上なんて走られたら、追いつけませんからね」
 平らな道であれば追いつけると言わんばかりに笑う男に、私は一言尋ねてみる。
「つかまえられたんですか?」
「もちろん…と言いたいところですが、残念ながら消えてしまいまして」
「そう、なんですか」
「サンタになりたいという夢も相当厄介でした。なんせ空を飛ぶわけです。プレゼントを配りに地上に降りたところで接触を試みて」
「試みて?」
「消えてしまわれました」
 楽しそうに笑ってコーヒーを飲む男は、怪しいけれど、悪い人間ではないのかもしれない。
「それ以外にも様々な夢を追いかけました。私の担当する夢はくせ者揃いでして、アイアンマンが出てきたときには死を覚悟しました。ビームが出るわけです、実際に。スパイダーマンはそれに比べると楽でしたね。糸が出るだけでしたから。意外とジャンプのキャラクターは厄介でしたよ。どれもこれも強力ですからね。まぁ…どれもこれも元気な夢でしたが、追い詰めると消えてしまうんですよ。そうそう、どの夢も」
 男の顔から波のように笑みが引いていく。

「あなたと、同じ顔をしていました」

「わた、私はあなたのこと、知りません」
 喉が渇く。水が欲しかった。
「普通の女の子になりたいという夢まで出てきてしまったわけですね」
 何を言われているか分からない。ただ、こう思う。
「逃げたい、ですか」
 言い当てられて、足に力が入る。腰が浮く。
「逃がしません。今日は、今回は、逃がすわけにはいかないんですよ。あなたが消えてしまえば、もうそこで終わり、彼女は死んでしまいますからね」
 この人は、何を言っているんだろう。
「夢は憧れと同時に生まれます。人間はどこかで夢が叶うことを願い続ける生き物ですから、弱ることはあれど、夢は死にません。願われている間は持ち主と繋がったまま、ときにプラスに、ときにマイナスに働きながら、それでも生きる糧となり続けます」
 男はゆっくりと立ち上がった。
「しかし、もう絶対に夢が叶わない。夢の持ち主がそう思ったとき、心の底から深く絶望したときに夢は、持ち主から剥がれてしまう。そして、出てきてしまうわけです」
 肩に手が乗せられた。
「あなたのように、ね」
 つかまえた、と男が呟く。瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、病院のベッドで眠る少女だった。繋がれた機械たちはけたたましく警告音を鳴らしている。周囲の大人たちは泣いたり、大声を出している。医者は看護師に指示を出している。
「あなたは、彼女が最後まで捨てずにいた夢だ。最後まで諦めなかった夢だ。しかし、彼女はふとした気の迷いで、あなたを諦めてしまった。そしてあなたは出てきたんだ。彼女の最後の生命力があなたをこちら側に生み出した。そして、彼女は今、息絶えようとしている」
 見えないけれど、男の声は涙で滲んでいた。そんな気がした。
「戻りなさい。今ならまだ間に合う」
「わたし、ふつうの女の子に」
「なれます。そのときは、また一緒にお茶を」
「やくそく」

 これは今わの際の「夢」のお話。逃げた私と追いついた彼のお話。

~FIN~

逃げる夢、追う男。(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品】
シロクマ文芸部お題:「逃げる夢」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )

~◆~
シロクマ文芸部、参加させていただきました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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普段はOne Phrase To Storyといって、
誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画で色々書いています。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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