アイシー、アイシー、ハッピー
冬の寒いキッチンで、私は素足で立っている。暖房はつけない。光熱費はいつもカツカツだ。そもそもキッチンなんて言い方をしてみたものの、結局は一人暮らしの粗末な台所。古いアパートだから、暖房をつけたところで焼石に水ならぬ氷山にお湯。ならば潔くノー暖房だ。外気温と大して変わらない室温。吐く息が白い。煙のようにふわりと浮かんで消えていく。楽しい。
「なーにがありましたっけねー」
独り言だ。寂しくて悪うござんした。姿無き親族に毒づいて冷蔵庫の扉を開ける。正面に鎮座するグラスを手に取り、カルピスと紙パックのはっさくジュースを出して扉を閉める。次いで背中側の棚からラムネ瓶の親玉みたいなのを掴む。ペパーミントリキュールだ。ぬるりとしてグロテスクな緑色。
「ミーント、カールピス、はーっさく」
リズムを崩さず、目分量で同じくらいずつ注いで、そこらへんにあったスプーンで混ぜてひと口。柑橘と甘みと清涼感。美化された夏の日のキスの味。私は上機嫌で洗い物を始める。水だ。キンキンに冷えた水。雪遊びし過ぎて指先の感覚が失せていく感覚。脳みそが奇妙な高揚感に浸されていくのを自覚しながら、グラスを傾ける。舌の上に絡まったアルコールが名残惜しそうに喉の奥に落ちていく。キス、在庫無し。
「ミーント、カールピス…」
私の頭が火遊びを欲し始める。爽やかなだけじゃ物足りない。アイツを呼ぼう。ほどよい刺激ならアイツが良い。私は冷蔵庫を開けてチューブに入った生生姜を取り出すとグラスに絞り入れた。
「ミーント、カールピス、はーっさく、ジンジャー!」
ケタケタと笑いながらガシガシと雑に混ぜてひと口。乱暴に捻じ込まれる特有の味。生姜味としか言えないそれが口に広がる。
「はっはっは、辛い!入ーれー過ーぎーたー!」
減った分を継ぎ足して味をいじりながら、頭はもうツマミのことを考えている。浮気性は仕方ない。性分だ。
「サーモン、サーモン、サーァモォーン」
昨日手に入れた大好物のサーモンの結婚相手を考える。ありきたりなイタリアンドレッシングの気分じゃない。醤油とワサビの気分でもない。お前らに、うちのサーモンはやらん。頭の中の冷蔵庫をガサガサと漁る。あれでもない、これでもない。今日の私は変わった恋がしたい。いつもと違う奴と遊びたい。ほどよく道を外れたい。でも外道には墜ちたくない。だから、キムチ、お前も今日はお留守番だ。そこをどけ。
「みーぃつけたーぁ」
少し前に、実家から送られてきたイチゴのジャム。残りわずかに残ったアイツをサーモンに嫁がせよう。母の手作りで味は抜群。申し分無し。三度、冷蔵庫を開けるとジャムのビンを取り出して、蓋を開ける。主張の強い香り。いいぜ、最高の夜にしよう。私は下卑た笑いをにじませながら、ビンに直でオリーブオイルとハーブビネガーを注ぎ込む。蓋をキツく締めると、勢いよく振る。バシャバシャバシャ。ビンの内側に残る赤いものが洗われて、液体の方にその色を移していく。舐めるまでも無い。そこでしばし待っていたまえ。シンクにビンを置くと、サーモンを取り出す。アルコールと冷気で私の神経は鋭く研がれている。包丁を持つ手に震えは皆無。躊躇なくピタリと刃を当てては手前に引く。包丁を傾けると薄く剥がれていくサーモン。あぁ、気持ちいい。1枚ごとに気持ちいい。スッ、パタリ。スッ、パタリ。あぁ、無限に刺身切るバイトとか無いかな。20分くらいで飽きるけど。どうしようもないことを考えながら、二重に敷いたラップの上にサーモンを並べて、待機させていたアイツを手に取る。蓋を開けると漂う良い香り。
「これだけでご飯食べれちゃうね。食べないけど」
舌なめずりをしながら、ドレッシングをたっぷりサーモンにかけて、ブラックペッパーを振って、上からさらにラップをかける。少し置いてなじませれば立派なマリネの完成だ。
サーモンの寝顔を眺めながら飲み続けること30分。待ち時間は矢のように過ぎた。私はラップを丁寧に剥がす。寝込みを襲っているような背徳感に背筋をゾクゾクさせながら、端の1枚をつまんで口に運ぶ。まずいわけがない。もう1枚。自分の発想力が怖い。ギアが上がってしまう前に、私は冷凍庫から蒼く輝くジンのボトルを引き抜いてグラスに注ぎ、ひと口。サーモンと一緒にもうひと口。味わいながら炭酸水を加えてひと口。しかし、酒池肉林にも飽きはやってくる。もう少し塩味が欲しい。サーモンの上で岩塩をミルでガリガリ挽いて1枚。ジンをひと口。たまらん。気付くとサーモンは無くなっていた。私は食パンを1枚出してきて、ラップの上の宴会跡地に倒す。残ったドレッシングを余すことなく吸わせて頬張る。締めはいつだって寂しいものだ。少しツンと香るドレッシングの酸味をジンソーダで流した。またな、お前ら。今夜は最高だったぜ。私は涙をグッとこらえて、ウィスキーのボトルに手を伸ばした。
~FIN~
アイシー、アイシー、ハッピー(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『冬の寒いキッチンで』
本文執筆:Pawn【P&Q】
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One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。
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