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昔、自分が想像していたような大人になったとは思えなくても。

 ふと、今の自分の年齢とかを考えたときに、子どもの頃の自分が想像していた自分と比べて、年齢だけは大人だけど、こんな大人になると思わなかった、などと思うときはないでしょうか。また、一方で、これからの未来に思いを描いたときに、どうせたいした成長しないどころか、何も変わらないまま年齢だけを重ねていくのではないかと悲観的になる場合もあるかもしれません。

大人になること=人生の目標ではない

 大人になることというのは、責任を持ち、分別がある人になるという意味では、立派であり、良いことかもしれませんが、それが、幸福につながるわけでも、格別偉いことでもありません。昔、描いてた大人像になれなかったからといって、落ち込む必要はありませんし、そもそも、目指すべきものでもないかもしれません。大人になることが、人生の目標であるならば、すべての子どもらしさを自分から削ぎ落とす必要がありますが、よくよく考えると、大人になることは、人生の目標ではないことが大半でしょう。

大人像よりも、自分像を再定義。

 しかし、だからといって、将来の自分像を描かないで、悲観的に年齢だけ重ねて行くと思うよりは、理想の自分像を描いた方が楽しい場合もあります。その場合は、理想の大人像を描いて、それにむかってがんばるのではなく、理想の自分像を描きましょう。しっかり分別のあるような、いわゆる大人な人物になることだけが、自分にとっての目標ではないはずです。真の理想ではないはずです。子どもらしさの中には、良い要素もたくさんあります。残したい子どもらしさもあるはずです。伸ばしたい子どもらしさもあるはずです。大人になりたいのではなく、幸せになりたいのであれば、理想の自分像を再定義することを大切にしましょう。 

過去の自分ががっかりしたとしても、気にしない自分でいよう

 子どもの頃の自分と会うことができたとして、その自分にいろんな話をして、たとえ、その子どもの頃の自分ががっかりしたとしたら、また、がっかりしただろうなと思うだけでも、ショックでしょう。ても、それは、その子どもの頃の価値観に基づいて、子どもの頃の自分が勝手に判断しているだけです。そこで、その子どもの頃の自分が感じたことに対して、同調して、へこむような自分ではなく、たとえ、がっかりされたとしても、今の自分の毎日を誇れるような、満足できるような自分でいることが大切です。

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