真理がわれらを自由にする
「真理がわれらを自由にする。」
どこかで聞いたことのあるような、また、初めて聞いたことのあるような言葉です。自由をこよなく愛する僕は、最近読んだこの文章を思い出しました。
ここに出てくる「わがまま」っていうのがこれは厄介です。人間だからわがままが生まれるそうです。
僕は、しばしば「人間の役割とは何ぞや。」と哲学的なことを考えています。人間じゃなかったら”らくちん”だったかな?みたいなことも考えるのです。(楽をしたいというわがままが出てますね。)
いまだ答えがでていませんが、この文章にある通り、動物は幸せとか不幸とか、そのようなことは考えませんよね。
僕は魚釣りをします。
魚釣りの世界には、「魚との知恵比べ」という言葉があるのですが、僕はそんなものはないと思っています。
「魚に知恵なんてない。同じ温度のところにずっといたいだけだし、ただ身を守っていたいだけ。ただ子孫を残していきたいだけ。」
だから、「魚の生態を良く知っている人が魚をたくさん釣れる」のだと思っています。(僕はまだまだです。)目を覆いたくなるような命の奪い合いをみていると、魚には失礼ですが、「あれらは人間じゃないし、魚以下だ。」
などと思います。
せっかく与えられたコミュニケーションの力、共感する力、社会を形成する力、課題を解決する力があるのに、それを用いないというのは人間らしくないなと思うのです。
人間に与えられた力の一つが「わがまま」なのですよね。
なんという残酷なお話。
冒頭の
真理がわれらを自由にする。
どういう意味なのでしょうか。実はこの言葉、ここから拾ってきました。
いま、世界中がなにやらきな臭い感じになっています。
政治も経済も、コロナウイルスに派生した様々な出来事も。
ここでいう真理ってなんでしょうね。
とてもシンプルじゃないのかなとおもいながら、とても深いのかなともおもいます。
「わがまま」を捨て、学び続け、探究していくしかないのかな。
ちょっとしんどい(わがままが出た)ですよね。のんびりやりましょうか。
※
実はこの言葉聖書から引用されている(聖書では「真理があなた方を自由にする」)のでクリスチャンの僕はなんとなく知っていました。
純粋倫理に触れていくと、どうにも「万人幸福の栞」に書かれている言葉だけが走り出しているような気がすることもあり、ここに出てくる言葉を引用して、ばっさばっさと人を断ずる方々や、逆に言葉に縛られて辛そうな方々とも出会います。いつも、僕らは真理はどこにあるのか?を考えていきたいものです。(死ぬまで答えはでないだろうけど)
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