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真理がわれらを自由にする

「真理がわれらを自由にする。」

どこかで聞いたことのあるような、また、初めて聞いたことのあるような言葉です。自由をこよなく愛する僕は、最近読んだこの文章を思い出しました。

 大自然は宇宙の法則(きまり)に従って、一分一秒のくるいもなく、めぐり動いております。
 昼夜(ちゆうや)の分(わか)ち、一年のめぐり、春は花、秋は紅葉(もみじ)、昔も今も、千万年一日(いちじつ)の如く変らぬ運動を続けております。
 だれも教えぬのに、ツバメは春きて、軒端(のきば)に巣を作り、子を育てて、秋は南にとんで行く。ミツバチは、しっかりときまった一団(ひとかたまり)の社会を作って、けんかもしない。どのツバメは不幸で、どのミツバチは幸福ということはない。自由も、平等も、ただ自(おのずか)らにして行なわれております。
 そうした中に、人間の社会だけは、貧富、貴賎(きせん)、上下(じょうげ)の差別があり、健康な人、虚弱(ひよわ)な人、賢い人、愚(おろか)な者、そして国の興亡(うごき)があり、文化の隆替(なみ)があります。
 これはどうしたわけでしょうか。それは人間に限って、勝手気まま、わがままをすることが出来るからです。なまけることも、勉強することも、喜ぶことも、怒(いか)ることも、勝手であるからです。
 だから動物の社会には、その仲間の一匹が幸福で、他のものが不幸だとかの区別はありませんが、人はわがままをせずに、正しく暮せば楽にすごせるものを、勝手気ままを出すので、不幸になるようになっております。いわば苦難(くるしみ)は、そうしたわがままをした (他の動物のもっていない不自然な心を出し無理な行ないをした)時、自然に出てくるようになっているのです。
 だから、たとえどのような苦しみであろうとも、そのすべてが自分のわがまま勝手からきていることで、どれも人間の協同生活にあってはならぬ心持です。これを取り去ることが、正しい心にもどることで、同時に苦難(くるしみ)を取り去る道です。このわがままを取り去った暮し方、これこそ新しい絶対倫理(くらしみち)であります。これがかえって一番自然な、自由な暮し方です。

万人幸福の栞 11ページ

ここに出てくる「わがまま」っていうのがこれは厄介です。人間だからわがままが生まれるそうです。

僕は、しばしば「人間の役割とは何ぞや。」と哲学的なことを考えています。人間じゃなかったら”らくちん”だったかな?みたいなことも考えるのです。(楽をしたいというわがままが出てますね。)
いまだ答えがでていませんが、この文章にある通り、動物は幸せとか不幸とか、そのようなことは考えませんよね。

僕は魚釣りをします。
魚釣りの世界には、「魚との知恵比べ」という言葉があるのですが、僕はそんなものはないと思っています。
「魚に知恵なんてない。同じ温度のところにずっといたいだけだし、ただ身を守っていたいだけ。ただ子孫を残していきたいだけ。」
だから、「魚の生態を良く知っている人が魚をたくさん釣れる」のだと思っています。(僕はまだまだです。)目を覆いたくなるような命の奪い合いをみていると、魚には失礼ですが、「あれらは人間じゃないし、魚以下だ。」
などと思います。
せっかく与えられたコミュニケーションの力、共感する力、社会を形成する力、課題を解決する力があるのに、それを用いないというのは人間らしくないなと思うのです。
人間に与えられた力の一つが「わがまま」なのですよね。
なんという残酷なお話。

冒頭の
真理がわれらを自由にする。

どういう意味なのでしょうか。実はこの言葉、ここから拾ってきました。

国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。

国立国会図書館法 前文

いま、世界中がなにやらきな臭い感じになっています。
政治も経済も、コロナウイルスに派生した様々な出来事も。

「従来の政治が真理に基づかなかった結果悲惨な状況に至った。日本国憲法の下で国会が国民の安全と幸福のため任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」(羽仁五郎参議院図書館運営委員長)

国立国会図書館ホームページ
コラム「真理がわれらを自由にする」より 
 

ここでいう真理ってなんでしょうね。
とてもシンプルじゃないのかなとおもいながら、とても深いのかなともおもいます。
「わがまま」を捨て、学び続け、探究していくしかないのかな。
ちょっとしんどい(わがままが出た)ですよね。のんびりやりましょうか。


実はこの言葉聖書から引用されている(聖書では「真理があなた方を自由にする」)のでクリスチャンの僕はなんとなく知っていました。
純粋倫理に触れていくと、どうにも「万人幸福の栞」に書かれている言葉だけが走り出しているような気がすることもあり、ここに出てくる言葉を引用して、ばっさばっさと人を断ずる方々や、逆に言葉に縛られて辛そうな方々とも出会います。いつも、僕らは真理はどこにあるのか?を考えていきたいものです。(死ぬまで答えはでないだろうけど)

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