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私の2022年。

おはようございます。朝から焼き芋とスコーンを焼いて、コーヒー2杯目をドリップしてきました。
そして家のキッチンでnoteを立ちながら書いてます。家のキッチンが1番好きなのかもとキッチンに立つ度に思うのですが、それを思い始めたのも2年前の4月の緊急事態宣言で急遽地元に帰ってきた時からかな。10日間だけ慣れない寮と大阪と未知のウイルスに翻弄されて泣いて絶望と寂しさとこれから大都会で生きれるという少しのワクワクを味わってすぐさま地元の実家に疎開した。早く出たいと思っていた生まれ故郷がものすごく恋しく思えたのは慣れない大阪とのギャップだったかな。
2年もいて数回も行き来を繰り返したら、あの壮大な恋しさや寂しさは小さくなっていた。人生ってこうやって摩擦がどんどん少なくなるんだと思った。
そして卒業して実家に戻って10ヶ月、帰省の時の実家への思いは重かったなと思う。慣れたら日常になってしまっている。そして喜怒哀楽が沢山あった大阪学生生活も夢の時の記憶のようにキラキラと儚くたまに思い出す。地元が恋しいと嘆いていたけど今は大阪も恋しいよ、1ヶ月くらいならどっぷりまた住んで味わいたいなー。年単位は長いかな笑。そうかだから、私は1人くらいが怖くて地元に帰ってきたんだ。一人暮らしで都会にいたらきっと生活も心も乱れまくる、それが怖くて地元でフリーターをしてる。そろそろ過充電になりそうだから若いうちに海外や他県に短期間だけ行きたいとか思い始めてる。ずっと居るのは多分しんどいから。味見がいちばん美味しいってやつは人生も同じかな、味見ばっかりでいいのかなと心配になるけど色んな味知っときたいしいつか絞れるようになったり新しい味思いついたりするかもだから憂う必要は今は無い。
小さい頃から思い続けてることはお菓子や料理でで人を喜ばせたいこと。高校生の時に核心を着いて製菓の専門学校に行くことにした。コロナ疎開の2年前からずっと思ってることは家のキッチンのようなホッと落ち着けるところでお菓子や料理を作りたい。自分には「現場」のようなストレスの溜まり場で愛や心の込もった良いお菓子は作れないと経験するうちに思ってしまった。この違和感を押さえ込んでてもいつか爆発する。だから見逃さずに、掬い上げて従った。お菓子は神聖なものとずっと思ってることを守るために。私の中でお菓子やお菓子作りは禅のような心を落着けて、無にして、集中するためのものだと感じてきた。いつか家のキッチンのようなアトリエが持てる日が来て私のお菓子を対価を払ってまでも欲しいと言ってくださる方に届けたい。邪念も邪気も悪いパワーも入ってない、エネルギーと愛溢れる美味しくて心が喜ぶようなお菓子が誰かに届けれるようになるよう目標と期限も作る。私は21歳、今は気になることや面白そうなこと、時には真面目に学んで好奇心のままに生きる。今年ももうそろそろ終わりますね。目に見える成長も見えなくて無かったことのような小さい成長も褒めてあげることにします。よく頑張ったねって。今年は大きすぎる悲しみもありました。その気持ちを無駄にしないよう光のある方へ私は進んでいきます。


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