見出し画像

逃げちゃだめだ

「企画」から「生産管理部」へ出戻り、少し経った頃、社長である父が「飲み屋」作るぞと唐突に言いました。

「ん?誰がやるの?」「お前やれ」

それぐらい軽く言われたので、言われた当時の事はあんまり覚えていません。

当時の僕は結婚をしていて、奥さんからは「飲み屋」の事は猛反対されたのだけは覚えています。

しかし社長が、会社の隣駅に良い物件を見つけたみたいで、そのまま「飲み屋」開業に向けて進んで行きました。

今回から数ポストに分けてその時のことを書いていきます。
まずは開業前のことから。

はじめての代表取締役

当初は、父の会社の「飲食事業部」としての開業を考えていましたが、最終的には、父の会社を後盾に会社を起業して運営する形になりました。

そうです。実はこの飲食運営の会社で、僕は一度「代表取締役」を経験しました。

飲食事業を進める為の、一つの手段(父の会社での飲食事業展開が難しいかったので)としての法人設立だった事もあり、そこには社長としての「覚悟」も「自覚」もありませんでした。

だから当時は「あー、僕は社長なんだー」くらいの本当に漠然とした気持ちしかありませんでした。

そして、経営のサポート(事業計画の作成や経理・労務関係全般)をしてくれたのが姉で、初めて姉と仕事をしたのもこの時です。

当時、姉は別の会社に在籍しておりましたが、父の会社で経理関係の仕事を請け負って貰っていたので、その延長で手伝ってもらう事になりました。

社長の仕事、お金を借りる!

お店を作るには、まず資金を調達しなければなりません。

そのために金融公庫に融資相談に行き、緊張しまくっていたのを覚えています。

融資相談など経験した事はもちろん無く、起業の為に資金や経験を積み上げて来た訳でもない、子供のお使いみたいなものでした。

融資を受ける事が出来たのも、父の会社の存在があっての事です。

父のことに少し触れておくと(いずれ詳しく書く予定です)

アパレル業界は年々時流が刻々と変化していく時代になっていました。しかし、父は「駄物は作るな」と商品作りに関しては一切の妥協を許しませんでした。

結果としてコロナの影響で事業は大きく傾きましたが、それまでの事業継続はこの「物作りの考え方」の賜物です。そんな父の会社が後盾となり、新規事業に関してもチャレンジする権利を勝ち取る結果となりました。

次はお店作り

資金が用意できたら、次はお店作りです。

どうやって店舗作りを進めたかと言うと、昔、父の会社に勤めていた方(以後、Sさんと呼ぶ)が、退職後に自身で飲み屋さんを経営されていて、その方に店舗デザイナー・料理人・食材の仕入れ先まで全て紹介していただきました。

ちなみに、飲食事業の運営を任された僕ですが、肝心の飲食店経験は大学時代のアルバイトで3年間という、なんとも無謀な職歴(ちなみに、料理は出来ません。包丁とか握った事もなかったです)
ホールで接客をしながら、酒匠(利酒師よりもズット上の資格・日本酒のテイスティングを行う)というスゴイ資格を持つ店長の影響で「日本酒」にハマり、ろくに大学にも行かず「利酒師」の資格勉強をして過ごしておりました。。。(「酒は純米、燗ならなお良し」という名言があります。)

お店作りをしながら、

アルバイトの面接

メニューの選定(と言っても、ほぼ料理人任せでした。「美味しい!!」って、まるで普通にレストランに来たお客さんみたいになっていたので)

食器探し(飲食店御用達「テンポス」さん)などをしながら、Sさんのお店で短期間の修行に出ておりました。

飲食は「人」

このSさんですが、僕が幼少の頃から父の会社で働いていらした方で・・・

見た目・性格・・・昔の映画に出てくる「◯クザ」さんの様な方です。

そんなSさんのお店での修行・・・

本当にキツかった・・・

精神を突き刺され・・・えぐられる・・・

「僕は弱い弱い弱い弱い弱い弱い弱い・・・」
(碇シンジ君風ですね)

当日朝トイレから出られなくなり、お店の最寄りの駅に着くと、足が止まります。

「お店作りでやる事が多いので・・・修行は終わりにしても良いですか?」・・・

逃げようとしましたが、

「料理を作る訳でもない。店舗作りでテメーの出来る事なんか無いんだから、ふざけんな」と一刀両断され逃げ道も無くしました。

ここで学んだ事・・・「逃げない心(笑)」

冗談は抜きにして、営業はこうやるんだ!と、体感させて頂きました。

本当に接客はスゴイんです。

とにかく、全てのテーブルのお客さんが笑顔で楽しそう。忙しい中でも、テキパキと料理を取り分け、「こうやって食べてね ♪」と提供していきます。

実際の料理も美味しいですが、こうやって提供されると、さらに美味しく感じさせるんです。Sさんはお酒が全く飲めないのですが、お客さんの嗜好に合わせて提供します。側から見ていると、意味が分からないです(笑)

僕は前にもポストした様に、「伝える事が苦手」です。でも、Sさんは会話で人をどんどん巻き込んで行きます。初対面でも、若者でも、会社の重役でもそれは変わりません。「人が夢中になる言葉」の力がSさんにはありました。

Sさんに、元気をもらって「またね」と笑顔で帰って行く。

そんなお客様でいつもお店は溢れていました。

ただ、こうやって現場を一緒にやらせてもらって気づいたのは、飲食は「人」そう背中で教えていただいた気がします。

これは、今になって思うのですが、AIの進歩などでこれから「人」を必要とする仕事はどんどん無くなって行く世の中で、「人の心を動かす仕事」は決して機械的なものには担う事が出来ません。これは、飲食や洋服全ての事に当てはまります。飲食店も洋服も溢れる時代の中で、僕達にしか出来ない「心を揺さぶる」事業を作る。その姿の見本となって教えて貰ったと思います。

僕の目指したお店

画像1

※当時のお店の写真

肝心の僕のお店はというと

誰でも気軽に立ち寄れる「我が家の様な空間」を目指した、イタリアンを中心とした創作料理店。

内装はSさんからご紹介頂いた空間デザイナーさんにお願いしました。
(内装は今でも正直やりすぎたと反省しています。でも、近隣にこんなお店が無かったので
 当時は「イケる」と思っていました。発想がチープ過ぎますね・・・)

50代のイタリアン・フレンチ出身の男性料理人と料理人志望の30代女性がキッチン。

僕とおかんがホール責任者(家族で頑張ろうという事で、おかんもスタッフとして入っていました)

父の会社の従業員さん達を招いての試食会など行い、いよいよ開店です。

開店以降の話をまた次回に投稿しますが、この時の僕は「代表取締役」とは名ばかりで、開業資金も、創業計画の作成も、融資を受ける事も、お店作りも、全てを周りの人に助けていただいて成り立っていました。

今思えば、「代表取締役」の名刺を人に渡していた事さえ恥ずかしく思えます。

そんな当たり前の事に気づかずに、僕は「社長」という言葉に踊らされ、どんどん「孤立した存在」になって行きました。

この続きはまた書いていきます。

他にもこんな記事書いてます。


❑❑❑

一周年プレゼント企画

みなさまのおかげで、Path Codeはブランドを立ち上げて一周年を迎えました。また公式LINEを開設した記念と日頃の皆様への感謝の気持ちから、プレゼントキャンペーンを開催中です。Instagram(@path_code)からご応募いただけますので、ご興味があれば、ぜひご参加ください。


僕たちPath Codeはこんな感じの洋服を作ってます。よかったら立ち寄って見てください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?