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顔色を伺うと不幸になる

人は、社会生活を行う上で、いろんな人の顔色を伺うことがある。

人は、なぜ、人の顔色を伺うのか?


ここで言う顔色とは、言語化されていないその人の考え、思い、感情のことだろう。

そういったことをこちらが勝手に想像、解釈、意味づけし、何らかの判断を行うことかもしれない。

その判断が相手の意図と同じであれば何の問題もないが、相手の意図と違う場合、少々厄介なことになる。

相手の意図は、相手が意思表示しない限りわからない。

それをこちらが勝手に想像、解釈、意味づけして判断するということは、その判断における責任はこちら側に発生する。

判断の責任は一方的にこちら側に発生するが、その意図は相手が言語化しないと答え合わせができない状態であり、後出しジャンケンのように相手に都合よく意図を変えられる可能性があるということ。

つまり、

「コントロールできないものに対する責任を負わされる」

ことになる。

顔色を伺った結果がよかった場合は、相手の理解者であり、共感者であるというアピールはできるが、顔色を伺った結果がよくなかった場合は、その責任を100%負わされる可能性もあり、顔面蒼白である。


相手の意図を汲み取り、判断の根拠を相手に求め、リスクヘッジしたつもりが、実は最大のリスクを背負っている結果になっている。


それって幸せな状況だろうか?

それで自分を幸せにできるだろうか?

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