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フード・ソシオロジー・ホラー『The Menu』

ほぼひとつのレストランの一室で繰り広げられる会話劇。これはアダム・マッケイ版『深夜食堂』なのです。食の『ミッドサマー』かも。とりあえずもっと失望と風刺と階級社会を利かせたとても興味深い映画でした。

もう後ろの海の合成っぷりとかあまりにも「まんま」すぎたけど、これは決してエンタメだけじゃなくておもいっきりフードソシオロジーの話。食物社会学?の話なのでは。。と思わずにいられません。

社会学は食について何を教えてくれるでしょうか?

食の行動と決定を再考すること

社会科学がこの主題に焦点を当て始めたのは 1970 年代の終わりになってからです。その後、過去 20 年間で研究活動は大幅に増加しましたが、依然として傍観的な状況にあります。このようにして、1990 年と 2000 年の危機を踏まえて科学遺産が構築され、認識されました。

その後、歴史家、社会学者、人類学者、心理学者が、危機管理の責任者が何を非合理的な行動として解釈するのかを説明し、対象となる問題を特定するよう求められた。それは、世界の生産主義的な食料モデル、つまり生産を目的としたモデルが崩壊し始めたときであり、これは第二次世界大戦後、西側世界が隔絶した栄養失調を終わらせることを可能にして非常に成功したモデルでした。

私たちはおそらく、革命ではないにしても、栄養学的アプローチの非常に深い変革となる可能性のある出来事の前夜にいます。ニュートリジェネティクス、ニュートリゲノミクス、そしてエピジェネティクスの極めて急速な発展は、現在の食品へのアプローチを一新し、研究活動、特に社会科学と食品の間の交流に新たな道を開くでしょう。食品モデルと食品の「社会的事実」について得られた知識は、研究、公衆衛生、食教育に非常に役立ちます。したがって、私たちが直面する課題は、「栄養上の事実」を結び付け、再結び付けることです。知識が発展し、個人の危険因子の特定が可能になるにつれて、食品に対する個別のアプローチが確実に促進されるでしょう。「食の社会的事実」は、食べることは分かち合うことを意味し、社会的行為であり、重要な行為であることを思い出させます。文化によって枠組みを作り、そこに伝達することに貢献する行為。食事は、社会の核となる価値観の「見せ場」です。したがって、栄養上の事実と「食品の社会的事実」は 2 つの側面であり、人間を食べる人の幸福の一部です。

サイトよりGoogle翻訳

↑へんな翻訳ですが定義はこんな感じで。食品周りの社会的事象の研究と言っていいと思います。

さて

ここからネタバレなので見てない方は読まないで






最初から、、

タバコを吸うなよ。舌のパレが麻痺するよ。これから美味しいもの食べるのに。

から始まる。

「牡蠣に味付けなんかいらないのに」

の一言でアンチ姫キャラのマルゴがどういう人間かがわかる。(私の本名は違うって言ってたけど)

とにかく、客各人がなにを代表してるか?

ヌーボーリッチの投資家(有色人種をつっこむ)
売れてるがくだらない作品にしか出ない役者(コンプあり)
料理の写真ばかり撮り、うんちくを垂れる一般人(でも彼は覚悟できている)
スノッブの料理評論家(フランス人ぽい)
レパブリカン漂ういやーな感じの老夫婦(奥さん実は良い人)
世の中から見捨てられた老母

といろいろなプロフィールをざっと見える。
レストランに通いレストラン産業を支えてるのはこれらの人たちだろう。多くの観客に一番近い人は写真を取ってアップするあの彼氏である。

特別感のある島のレストランではほぼ最初から

「食べてはいけない、味わうのだ」

と神シェフの言葉を聞く。

もうその言葉だけで、お客さんはみんなぷるぷる震えている。。

そしてパンなしのメニューが出てきたときにぐっと惹きつけられた。やばいこれはなにかある。と。彼氏とか泣いてたもんね。

料理クリテイックは眼の前で人が死んでもこれはレストラン側からの客人に対する何かの演出なのだとずっと自分に言い聞かせてたあの滑稽さ。

意味の分からない絵文字とうめぼしの下りなど日本語の氾濫を風刺もしてるし。これはチーズバーガーとの対極ね。

彼氏は死を覚悟してきた割になぜか軽い?

自分の運命を知ってたにせよ、最後のシェフはなにを耳打ちしたのか。。

前回食べたお魚を答えられなかった老夫婦との会話でまた悲しそうな顔をするシェフ

これだけスノッブをバカにする映画監督はさぞかしスノッブなんだろうと思うけどね。

残念なのは、映画にスパイスを与えようとしたのか血のシーンがやたら多かったのはどうだろう?私はあまり好まなかったな。ただ、女同士の厨房乱闘や、女同士の食事シーンはとても今っぽいと思った。

直接的には自然保護も食料ロスはそれほど言ってないところにこの脚本の上品さが伺えた。料理人視点だからかそういう展開ではない。

それでも食っていかなきゃいけない。映画製作も料理界も料理批評家もワイン業者も全部。このエコシステムはいつか壊れるかもしれない。いや壊れているのか。。最近結構色々思う所あり。

それでも人々は今日もレストランで出された料理をSNSにアップし自分の階級への承認欲求をみたしている。。これってやっぱり本能なのかな。

こういう学問の分野があるんですね

ということで、この楽しい映画はやはり一度でも食べ物をインスタにあげたことがある人は見るべき 👍


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