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【RFM】論語から学ぶ臨床研究の極意

📖 今日の教え

原文
子夏(しか)曰く、賢を賢として色に易え(かえ)、父母に事えて(つかえて)能く(よく)其の力を竭し(つくし)、君に事えて能くその身を致し、朋友と交わるに言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖ども、吾は必ずこれを学びたりと謂わん。


子夏がこうおっしゃった。『美人(色)を好むのと同じようにして、賢人を賢人として尊敬しなければならない。父母に仕えて力の限りを尽くし、君主に仕えて身命を捧げ、友人と交わって一度言ったことを決して裏切らない。(こんな人物がいたとして)人は、『この人はまだ学問をしていないから賢人ではないというかもしれないが、私は、きっとこの人物を学問をした賢人だと評価するだろう(真の賢人とはこういう人物のことを言うのである)』
・・・引用サイト

🌱 考察

渋沢氏はこの教えをもって、「”学問バカ”ではうまいメシは食えない」と述べている。
さらに、このようにも記されている。

学問というものは人道のほかには存在しないというのが孔子の教えであり、実行できる学以外に学問はないと断言している。

これこそが、私たち医療従事者が行うべき臨床研究であると考えている。

私自身、お粗末ながら臨床研究を継続しているが、研究の過程で学んだことや論文執筆した内容が、実学(すなわち、真に患者さんに還元しているか)であったかと問われると、非常に苦しく感じてしまうのが本音である。

だからこそ、当たり前ではあるが、どんな学び・発見も、「臨床にどのように活かされるか」の視点を忘れてはいけない。特に、研究に臨む際は、注意していてもそのことを得てして見失ってしまうから、各々が適切な対応策を考える必要があるだろう。


さて、学んだことを臨床に活かすためには、もう一つ注意すべきことがある。それは、「お勉強」と「学問」を区別することである。

北海道大学大学院 准教授の長谷川英祐先生は、このように定義されていた。

お勉強=既に分かっていることに関して理解すること
学問=「学」を「問う」こと。すなわち、既に分かっていることに対して、批判的吟味をすること。
※私の意訳も入っているため、正確な引用ではないことをご了承いただきたい。

そして、このようにも述べている。

学生にはいつも言います
教科書とは「何も書いてないか」を読むための書物だと

医療従事者においては、教科書・論文を鵜呑みにせず、その適応性や限界を理解したうえで、「じゃあ、臨床にどう活かせばいいの?」と自分に問う作業が大切である。
そしてその一連の過程を経て初めて、「実学」と呼べるのかもしれない。

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本記事は、以下の本を参考に作成しています。

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