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#209 「同情」よりも「共感」を

さて、突然ですが、質問です。

あなたの学級では、「共感」と「同情」どちらが多く見られますか?

困っている子を助ける子の姿を見て、「優しい子の多い、いいクラスになってきたなあ。」と。しかし、その「助ける」姿に違和感を感じることもありました。この僕の違和感をすっきりさせてくれたのが、

共感は「絆」を育み、同情は「絆」を壊す

という言葉です。

伊庭 正康氏の書籍の中で紹介されています。

ブレネー・ブラウン博士が提唱する「同情」と「共感」の違い。
ある人が、暗くて、深い穴に落ちてしまった。「出られないよー。暗いよー。どうすれば良いのかわからないよー。」と、助けを求めている時、それを見つけ「大丈夫?」と、穴の下に降りてきて、「自分も落っこちたことがあるから、その気持ちわかるよ、大丈夫だよ。」と、我が事として一緒に考えてくれる。それが共感。
しかし、同情は、それとは異なり、「あれ!落ちちゃったの?まあ、大変。でも、下には下りていけないのよね。お腹すくよね。サンドイッチとかいる?」と上から、穴をのぞき込みながら言う。それが同情。
同情と共感の違いは、その人の立ち位置ということです。ブラウン博士はこう言います。共感は「絆」を育み、同情は「絆」を壊す。と。


困っている子を目の前にしたときに、どの立ち位置にいるのか。ここに、「同情」と「共感」の違いがあります。

学級でも、困っている子に優しい言葉をかける子はよく見かけますが、上から目線である場合があります。

算数の問題が解けない子に、「こうすれば解けるよ。」は確かに「助ける」ことになります。しかし、一歩間違うと上下関係を生むかもしれません。

一方で、「私も割合の問題の時、解けない問題あって困ったんだ。教科書の後ろにまとめページがあるから、そこ見ると、解き方載っているかもしれないよ。見てみよう。」「あった!」「でしょう!これで大丈夫だね。」同じ経験をしたからこそ、自分事として友達に向き合う姿。これが「共感」なのではないでしょうか。

子どもは、経験し身に付けた力を軽視する傾向があります。また、人の想いを自分事として捉える力も、経験不足により、まだまだ未熟です。

仲間を助ける行為、それが「同情」ではなく、「共感」になるよう導く、これが教師の役割なのではないでしょうか。

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