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#256 「共感」のはずが学級内格差が

気が付くと・・・

互いを思いやり、ともに育つ集団を目指していたが、学級の中には明確な上下関係が生まれている。しかも、この状況を生み出した要因が自分にあったとしたら。

学級担任として、こんな恐怖はないですよね。

こんな状況を生み出してしまうことは、起こり得ます。
どこに問題があるのか?

その答えは「共感」の捉え方です。

共感とは?

精神科医の樺沢紫苑さんは、共感と同情の違いをまとめています。

一般用語としての「共感」と心理用語としての「共感」は異なります。「つらい気持ち、よくわかります」というのは、共感ではありません。なぜなら、主語が「私」だからです。同情とは自分の枠組みの中で、自分の経験や価値観、記憶を基準として、相手の気持ちを理解することです。共感は「相手」の枠組みで、相手の気持ちを想像しながら理解していくことです。「(私は)つらい気持ち、よくわかります」は同情で、「(あなたは)今、とてもつらいのですね。」というのが共感です。

なるほど!
共感は、主語を「相手」にして、相手の枠組みで理解すること。
同情は、主語は「私」のまま、自分の枠組みで理解すること。

同情から生まれるもの

人間関係の構築がうまくいかない原因はここにありそうですね。

「相手の立場に立って考えよう。」と声をかけてきていたのに、子どもたちが行っていたのは「同情」だった。

これでは、相手を下に見たり、相手に見下されていると感じていたりするかもしれませんね。

本当の意味で「相手の立場に立つ」には、主語を相手にして「共感」することが大切なのです。学級担任の役割は、「同情」を促すのではなく、「共感」を促すことなのです。

共感は双方向

さらに共感は双方向なので、自分が相手を理解すると同時に、相手が「理解された」と感じなければいけません。「ともに通じ合った感覚を共有すること」が共感です。

樺沢紫苑

学級の子どもたちが、「ともに通じ合った感覚を共有すること」を重ねることで、学級はまとまっていくことでしょう。

「同情」よりも「共感」に溢れる「人にやさしい」学級づくりを目指したいものです。

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