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「勝ち組」という言葉の暴力

「勝ち組」「負け組」
大体、人の人生においてその遍歴や功績をもって用いられる表現だと思います。
使ったことは、誰しも一度はあるのではないでしょうか。
私はないのですが。

私はよく「勝ち組だよね」と言われます。

私のことを表面的にしか知らない、関係の浅い人間であればともかく、親友と思っても問題のないほど親しい間柄の同性の友人にも言われます。
それもたびたび。
きっと彼女にとっては『褒め言葉』であって、彼女もきっと『勝ち組』になりたいのでしょう。
「私」になりたいかどうかは、置いておいて。

ちなみに、わたしがどんな人物であるかどうかは、最初の投稿で触れています。
そちらも少し頭に置いた上で、読んでもらえるともしかしたら状況が掴みやすいかもしれません。

さてこの『勝ち組』という言葉。

全くもって意味がわからないと思いませんか?

何に勝っているのか。
はたまた、負け組とは反対に何に負けているのか。

人生に勝ち負けなんて存在しないのではないでしょうか。
綺麗事ではなく。
だって、他の誰かと競い合ってあなたは自分の人生を生きたことがありますか?
アスリートや、数字で人生を判断される職業に私は就いたことはないので、そのパターンは少し横に置いておきましょう。
私も友人もアスリートでも、数字で人生をジャッジされる職業ではありませんので。

この『勝ち組』という言葉は、非常に暴力的だなぁと思います。

なにせ根本的に、自分の人生が他人の目から見てジャッジされた上で判断されたという結果がもたらした言葉ではないですか?

彼女が私の人生を、彼女の価値観と物差しで勝手に観測して『勝ち』であると判断したのです。

『負け』でなかっただけ良い。
そういう話ではないのです。
なぜ、私の人生が人に勝手にジャッジされなくてはならないのかというところに疑問が湧きます。

続けて彼女は言うのです。

「勝ち組人生なんだから、もっと自分に自信を持ちなよ!私があなただったらもっと人生ハッピーで楽しくて仕方なくてもっと無敵だと思う。私はあなたみたいな人生送りたかったな!」

そして忘れられない言葉を、加えてプレゼントしてくれました。

「勝ち組人生、イージーモードで羨ましい!」

その時の彼女の無邪気な笑顔たるや。
いまでも思い出せます。
あの顔を見る限り、彼女に悪意は一切なく、純粋に私を褒め称え、なおかつ私を励ましてくれていたのでしょう。現に、当時私は自分の生き方に落ち込んでいましたので。

『勝ち組』
『イージーモード』

なるほど。私の人生は、側から見るとそのように映る可能性があるのか…と、その時に初めて自覚したのではないかと記憶しています。
ひどい違和感を覚えました。
そして、続けてすぐに、悲しさと惨めさと、少しばかりの怒りと恥ずかしさが私を襲いました。

そして思ったのです。
『勝ち組』というならば、そのように映るのならば…
私の人生とあなたの人生、まるごと交換して生きてみる?

それでももし、彼女が変わらず『勝ち組』だと感じられるのであれば、私の人生も悪いものではないのでしょう。
いえ、悪い人生だとは自分でも思ってはいません。
でも、人生に勝ち負けなど考えたこともなかったし、なんならば私は自分を非常にこの世の中で生きにくいタイプの人間だと感じていたので
人生イージーモードだなんていうジャッジを下されるなんてびっくりしてしまったのです。純粋に。

『勝ち組』とは、一体なんなのでしょうか。

そこそこの有名大学を卒業し、一般企業に正社員として勤め、二十代で結婚。
それなりに稼ぎのある伴侶と一緒になり、暇つぶし程度のアルバイトをして自分の時間では趣味をして生活するお気楽な専業主婦。

これが『勝ち組』なのでしょうか?

そして人生イージーモードとは。
先述しましたが、私は平たく言えばこの世の中で生きにくいタイプの人間だという自負があります。
わかりやすく言えば、身体的にも精神的にも疾患があります。生まれつきのものです。
でも幸か不幸か、外見には現れないタイプの疾患なんですね。
生まれつきのものなので、物心ついた頃から自分のこの性質、体質とは付き合っていかなくてはいけないものでした。
普通のことが、普通にできない子供でした。
そんな人は、いまや星の数ほどいると思いますし、私は障害というほどでは現在はなくなったので(長年をかけて、改善しました。克服はしていません)そこまで不遇ではありませんでした。
でも、周りの子たちが普通にできていることが、自分にはどうしてもできない、頑張ってもできない、死ぬほどがんばった時に、やっとごく稀にスタート地点に立てる。
そんな人生が私の普通でした。
そんな私が、よもや人生イージーモードと称される日が来ることになるとは…

違和感と悲しみと怒りがふつふつと湧き上がる一方、そう見えるほどに私は「普通」を擬態できるようになったのだなと自覚しました。
ここまで、きたのか…と。そう思ったのです。

しかし『勝ち組』という言葉が持つ、暴力性の高さたるや。
言われて嬉しい人は、いるのでしょうか?

人生が勝ち負けであるという価値観のもとに生きていて、なおかつ『勝ち組』になりたい!
そう思っている人ならば、もしかしたら嬉しいのかもしれませんね。
少なくとも私には、ダメージしかもたらしてくれませんでした。
私が卑屈だからでしょうか。
シンプルに褒めてくれたのだろうに、友人よごめんねと思ってしまいます。

皆さんは、『勝ち組』『人生イージーモード』
言われたことがありますか?
また、誰かに言ったことはありますか?

つまらない言葉に傷つけられてしまってるなぁ…と、数年間このエピソードを引きずっているので、今回の昇華対象に選ばせていただきました。

他人が他人の人生をジャッジしてカテゴライズするなんて、ナンセンスだと思うのですがいかがでしょうか。

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