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【セカンドブライド】第7話 4世代が集うお正月にもらった優しさ

大晦日は、子供達と年越しそばを食べて、三人でこたつに入り、年越しのテレビ番組を観て過ごした。22時過ぎには息子が眠気と戦いながら寝て、「年越しまで起きてる!」と豪語していた娘も23時過ぎに寝た。眠りについて、ずっしり重い二人を抱っこして、「大きくなったなー。」とお布団の部屋に運んだ。

一人で年越しのカウントダウンをした。そして、0時を回って年が明けると、友達と「明けましておめでとう」のラインを交わし合った。

カエルさんからも新年のあいさつがメールで来ていた。「明けましておめでとうございます。今年もよろしくね🐸今年もいっしょにいっぱい走るよ!」

「メールをありがとう。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!」と返した。

元旦は、母方の祖父母の家で過ごすのが毎年の決まりだった。

元旦のお昼に祖父母の家に着くと、親戚みんなが揃っていた。四人兄弟の第二子で次女の母の実家には、祖父母、叔父叔母、従兄弟、従兄弟の子供達と4世代20人ほどが集う。田舎で農家を営んでいた祖父母の家は和室が多くて広かったので、毎年、和室の襖を外して一つの部屋にし、長机にみんなで座ってお節を食べた。お祖母ちゃんはこのお正月の集いのために12月の後半から何日も使ってお節を用意していた。そんな、昔ながらのお正月がそこにはあった。

子供達を促して、上座で既に酔っぱらっている祖父(子供達にとっては曾祖父)へ新年の挨拶をした。

「明けましておめでとうございます。」
「おお、よく来たね。明けましておめでとう。」とお祖父ちゃんが言った。

そのあとは叔父や叔母、私の両親や従兄弟にも順繰りみんなとあいさつをした。祖母が、少し目を細めて子供達に微笑み「明けましておめでとう。また、大きくなったね」と言って、嬉しそうにお年玉をくれた。子供達と一緒に「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。」と言った。

叔父や叔母、従兄弟と会うのはお正月だけになっていた。お節を食べながら一年一度の報告会みたいな感じで、みんなといろいろなことを話した。

年下の従兄弟と幼稚園の役員について話しながら昆布巻きを食べていたら、祖母が私を呼んだ。

お手伝いするつもりで、寒くて少し暗い裏の台所に行くと「これ、はるちゃんに。」と言って「お年玉」と書かれたポチ袋をくれた。

「おばあちゃん、私はもう大人だから良いよ。」と断ると、

「少ししか入ってないから。はるちゃん普段は我慢することも多いでしょう?何か好きなものを買いなさい。みんなに分かるとみんなに渡さなきゃいけないから、早くしまって。」と言われた。

私は祖母が43歳の時に生まれた初孫だった。祖母自身も若くて体力もあったこともあり、私のことをとても可愛がってくれた。

幼い頃、私が母に叱られると「はるちゃんは賢いから、もう分かってるよ。ねえ?はるちゃん、お母さんにごめんなさいしよ。」と私に助け舟を出してくれる存在だった。そんなお祖母ちゃんのことが私は大好きだった。

もう一度、「ありがとう」と言った私に、祖母は目くばせだけした。

そして、自家製の沢庵のお皿を持たされて、みんなの食卓に並べる様に言われた。そのお皿をもつ手がシワシワで小さかった。田舎に住む祖母世代の感覚では、子供を連れての「出戻り」は不幸でしかない。いつまでも心配をかけていると思うと不甲斐なくて、不意に泣きそうな気持になった。

急いでポチ袋をポケットにしまい、何事も無かったかの様に宴席に戻った。

少し切ない気持ちになった、いつにも増して穏やかなお正月だった。



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