見出し画像

【セカンドブライド】第20話 カエルさんのお夕飯

その頃、私が子供達と住んでいた部屋の間取りは2DKで、エレベーターの無い4階建てのマンションの4階だった。玄関を入るとまっすぐな廊下があり、左手に6畳の寝室、右手に洗面所とお風呂、続いてトイレがあった。突き当りのドアを開けるとキッチンとリビングがあった。キッチンとリビングは元々は引き戸で区切られていたのだが、間の引き戸を取り払い、13.5畳のLDKとして使っていた。

「スノーボードのお礼、何かしたいのだけれど何が良い?」と聞いたら、カエルさんが「鍋パーティー!」と言ったので、私の家で鍋を食べようと招いた。子供達にもカエルさんが家に来ることを伝え「お礼をするから、手伝ってね。」と話した。娘はネギを切ったり、シイタケに十字に切り込みを入れたりしてくれたし、息子も白菜を洗ったり、つみれを丸めたりと手伝ってくれた。みんなで協力して鍋の準備をし、カエルさんをゲストとして迎えた。

初めて私たちの部屋に来たカエルさんは、きょろきょろしながら家に上がり、プリザーブドフラワーのアレンジメントや、娘が作ったウサギの置き物や、私たちの三人の写真が飾ってあるのを見て、「可愛い部屋だね。何か、女の子の部屋に来た感じでドキドキするなあ。」と言った。

私自身が鍋を美味しいと思ったのは大人になってからだが、子供達は鍋をよく食べた。「野菜をいっぱい食べれて偉い」と褒めながら、みんなで賑やかに鍋を囲んだ。そして、またスノーボードに行こうと話した。楽しい時間だった。

ただ、その日を皮切りにカエルさんは「やっぱり家庭料理って良いね。」と言い、それが「今日も行くよ〜!楽しみだな。」と習慣化してしまうまであっと言う間だった。元家族が家を出たことで、きっと寂しかったのだと思うし、お夕飯に困っていたのだと思う。カエルさんは、毎晩私の家に夕食を食べにくる様になった。

私は、都内の企業で勤務しており、電車で片道1時間半をかけて通勤していた。当時はテレワークも整備されていなかったから、17時に会社を退勤してダッシュで帰途につき、19時閉園に間に合う様に保育園と学童に子供達をお迎えに行く。二人を連れて帰宅し、お洗濯を取り込み、夕飯の準備をして食べさせ、お風呂に入れて寝せつける。そして、夜のうちに次の日の準備をする。一連のルーティンは、毎日分刻みで必死だった。

自分と子供達のご飯だけなら、多少の手抜きをしても咎める人は居なかった。そして、子供達も小さいので、食べる量も多くなかった。でも、そこにカエルさんが毎日やってくるとなると話は別だ。どんなに疲れてもオムライスとお湯を注ぐだけのコーンスープで誤魔化すことは出来なくなるし、ご飯の品数を増やさないといけなくなった。

カエルさんはいつも、私たちが家に帰り着いて直ぐの19時半頃にやってきた。そして、ご飯が出来るのを待っていた。子供達に話しかけてくれたりはするし、テレビを観ながら取り込んで山になったままのお洗濯を畳んでくれることもあったが、基本的にはマイペースに過ごしていた。そして、「ぱるちゃんのご飯は最高だね。」と笑顔でご飯を食べ、しばらくすると自分の家で晩酌するねと言って帰って行った。

もちろん、私の料理を「美味しい」と言ってもらえることはとても嬉しかった。でも、バタバタしている中に来られることで、労働の負荷が高くなった。何より、シングルマザーの家計に、大人一人分の食費が加算されるのがしんどかった。それにそれは、純粋な一人分ではなかった。「今日は豚汁が良いな」とか「今日はもつ煮が食べたいな」等とリクエストされるので、心理的負担も実際の食費も倍に跳ね上がった。でも、悪気があってそうしている訳ではない彼にそれを伝えることが出来ずにモヤモヤしていた。

一か月半ほど経ったある日、お夕飯を食べ終わった子供達が「ご馳走様でした」と言って食器をシンクに運びリビングで遊びだした。

その日は子供達が好きな鮭のホイル焼きだった。大皿に残ったチキンサラダをカエルさんに「まだ食べれる?」と聞いたら手のひらを私の方に向けて要らないと言う意思表示をしたので、「いっぱい作りすぎたな。」と思いながら自分の小皿に移していた。食卓にはまだ里芋の煮物も残っていた。煮物は明日も出す訳にはいかないかな、と思わずため息をつきたい様な気持ちになる。

カエル君が話し出した。「家の元嫁はさ、揚げ物すると台所が汚れるとか言っちゃってさ、嫌がって作ってくれなかったんだよね。ずっと専業主婦だったのに。だからさ、オレ、揚げたてのかき揚げ丼作って欲しいな。」媚びる様なちょっと上目遣いで甘えた話し方をした。

私の中でずっとモヤモヤしていた感情が溢れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?