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【映画📽】かもめ食堂


■作品紹介:
キャスト:
小林聡美(サチエ)
片桐はいり(ミドリ)
もたいまさこ(マサコ)
ジャンル:ドラマ
制作年&国:2005、日本

ハラゴシラエして歩くのだ。

ある夏の日、日本人の女性サチエはフィンランドの首都ヘルシンキにて「かもめ食堂」という日本食の食堂を開店させた。しかし、近所の人々からは「小さい人のおかしな店」と敬遠され、客は全く来ないのであった。

そんな折、ふいに食堂にやってきた青年との会話をきっかけに、町の書店で見かけた日本人女性ミドリに声をかけ、やがて食堂で働いてもらうことになる。

ミドリは食堂を繁盛させようと、様々なアイデアを出すが、サチエは「おにぎりは梅、シャケ、おかか」であるというポリシーを譲らない。だが、ある日思い立ってフィンランドの定番食であるシナモンロールを焼くと、いつも遠巻きに見ていた主婦たちがその匂いに釣られて来店し、その日を境に少しずつ客が入るようになる。

そんなある日、マサコという日本人旅行者がかもめ食堂を訪れる。空港で荷物を紛失して足止めを受けていたマサコだが、荷物が見つかるまでの間、観光をしながらかもめ食堂へ度々来店し、そのうち食堂を手伝うようになる。

「色々な事情」を抱えた人々との出会いを経て、ささやかな日常を積み重ねていくサチエたち。徐々に客の入りが増え始めていたかもめ食堂は、やがて地元住人で賑わう人気店となる。 

Wikipedia

 やさしい、日本ならではのほっこりするようなストーリーとおだやかなヘルシンキの町並み。

正直、フィンランド映画には苦手意識があった。
過去にフィンランドで製作された「365日のシンプルライフ」という映画を観たことがある。これが最初で最後のフィンランド映画と決めつけてしまうほど、フィンランドって思ったより幸せな国じゃないと判断してしまったきっかけになった映画だ。

この映画のあらすじはざっくり言うと、「彼女にフラれたことをきっかけに、物の多い自分の部屋を一掃。本当の幸せが何かを見つけるために、自分の持ち物の一つ一つの価値を見定めていく」。

私はミニマリストの考えを否定はしないけど、一見、無駄だと思われるような物にだって価値はあるし、往々にして捨てた時のショックが大きいとすら思っている人間なので、この映画には共感できなかった(まあ最終的には主人公も考え直すんだけど)。

たったこの一作でフィンランド映画はおもしろくない、と考えるのはお門違いなんだけど、ちょっとしたトラウマじみた物を感じたせいで、それ以降は何となくフィンランド映画を観るのに抵抗があった(それにアイスランドとかデンマークとかスウェーデンとか、北欧映画にはおもろい作品が多いし)。

いわゆる予習のつもりでした。

私事だけど、近々フィンランドに行く予定ができた。Youtubeとかでフィンランドの暮らしを見て情報収集しても良かったんだけど、いかんせん時間があまりないので、サクッと予習するつもりで手に取ったのが「かもめ食堂」だ。

制作は日本だけどフィンランドに全面的に協力してもらったおかげで、オール現地ロケ。マジでフィンランドの町中を歩いているような、そんな気持ちにさせられた。

群ようこさんの原作を元にできたこの作品のキャッチコピーは「ハラゴシラエして歩くのだ」。その言葉通り、作中では美味しそうな食べ物がたくさん出てくる。日本には随分帰ってないので日本食を見て、なんだかいろいろ懐かしくなった。

ところどころ、町中を歩いてヘルシンキののんびりした港町を見て、あれ、意外とフィンランド人ってのんびりした生活を送ってるのかもと思った。それまではほんと、何でもかんでも断捨離せなアカン!っていう尖った人の集まりかと思ってたから(完全にセルフプロパガンダである。フィンランドの皆さん、ごめんなさい)。

驚くようなドラマも、びっくりするようなハプニングもない、はっきり言って起伏のない映画だった。

だけど登場する誰もが悩みを抱えていて。

食堂の三人ともがその悩みを否定せず、一生懸命向き合おうとする姿に、なぜか泣きそうになった。

もちろん、三人がそれぞれ何かを抱えて生きていることはすぐに分かったし、互いに気づいているそぶりも見せていたけれど、敢えてそれを聞かずに物語が進んでいくところにものすごく優しさを感じた。

人と関わるって交流にも干渉にもなうる。

こんなのあたりまえのことなんだけど、例えばどうして、私達は相談を受けている時に、気づいたら自分の意見を押しつけたりしちゃうんだろう。あるいはどうしてよかれと思ってやったことが、裏目に出てしまうことがあるのだろう。実は現実の私達はすごくいじわるだし、必要以上に他人に干渉して傷つけることが多いくせに、傷つけたことに気づかず、その場を去ってしまいがちなのはなんでなんだろうと、かもめ食堂を見ながら、そんなあたりまえなことを考えていた。

例えば毎日毎日タダでコーヒーを飲みに来るだけの彼にどうして友達がいないの?なんて聞かず。

例えば縁もゆかりもないフィンランドにやってきた彼女に訳を深くは訊ねず。

例えば荷物が見つからないといっていたくせに、いざ見つかってもとんちんかんな発言をする彼女を否定せず、だからって全面的に肯定するわけでもなく、ただその選択を受け入れようとして。

例えば他でもないフィンランドで食堂を開くことにやたらとこだわる彼女の経緯や背景を、根掘り葉掘り聞こうとしない登場人物たちに、人と関わりを持つという行為自体について改めて考えさせられた。

どれももちろん、言わずもがな観てる側には理解できる問だし、なんなら原作を読んだ人にとっては答えも分かるんだろうけれど、あえて直接的には何も言わないところが、人との関わりについて考えるきっかけを与えてくれた気がする。

人には人の悩みや苦しみがあって。

これは一種私のポリシーみたいなものだ。厳しい言い方かもしれないけれど、私は悲劇のヒロインが嫌いだ。厳密には自分をかわいそうなやつだとアピールするやつが嫌いだ。確かに聞けばかわいそうなのは分かるんだけど、だからってどう頑張っても同じ痛みを感じることも、ましてや分かち合うなんて事は絶対無理だと思うからだ。人には人の痛みや悩みがあって、それを「うんうんわかるよ」なんて言葉では片付けてはいけないと思うからだ。

かもめ食堂にはたくさんの悩み事を抱えたお客さんがやってくる。

友達がいない人。

家族を失った人。

自分の人生を他人に捧げてきた人。

仕事が上手くいっていない人。

どれもこれも、人によっちゃ、「こんなの悩みでも何でもない。私なら~」と思う人もいるかもしれないが、それこそが間違いじゃないだろうか。だって実際にこうした悩みを抱えて皆生きているんだから、それを悩みじゃないなんて言ってしまうのは、あまりにも乱暴すぎやしないだろうか。

繰り返すけど、作中に出てくる人の誰もが、人との関わり方をきちんと理解しているような、そんな人たちばかりで、だからこそすごく暖かくてほっこりする作品だったと思うんだ。

ほんとにいい映画だったなぁ。
見るきっかけを与えてくれたフィンランドに感謝だ🕊

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