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小笠原孝次氏の短歌にみる言の葉の誠の道

執筆:ラボラトリオ研究員  七沢 嶺


小笠原考次・七沢賢治著「龍宮の乙姫と浦島太郎(古事記より観たる日本伝説の解釈)」の冒頭に次の歌がある。


 松の風楢の時雨に言の葉の誠の道を知り初めにける

 松の風峯の嵐に通ふまで言の葉の道きはめてしがな

 言の葉の誠の道を峯わたる松の嵐に問ふよしもがな

 松風を國の言葉にうつしてみおやの神人(かみ)のみわざたづねむ

初学者である私が、偉人の詠んだ歌を解釈し述べることは、誤解する危険性を孕んでおり、決して望ましいことではない。それ故、以下に述べることは、一個人の「感想」であるとお含みおき願いたい。

すべての歌から、言の葉の誠の道を極めようとする強い意志が感じられ、松や楢がその到達点へ導いているようである。

松風、楢の時雨に最初の気付きがあり、その道を極めたいと決意し、峯渡る松風に問う方法があればいいのにと願い、松風を言葉にうつして神人の御業を探求する。

これらの歌は断片としてではなく、連続体として詠まれたと考えられる。私の解釈以外にも、大切なことが言外に含まれているはずである。私には松、楢がなにを示すのか推し量ることしかできないが、氏にとって極めて重要な象徴であったに違いない。

俳句、短歌の初学者である私の表面的な見方においても、松は古来より多く詠まれており、荘厳美や長寿の象徴であった。

氏の歌は、松や楢といった単体ではなく、松の風、楢の時雨、峯の嵐、松の嵐、のように風や雨と共に詠まれている。単に格調高く美しい自然としてだけではなく、一種の「厳しさ」を感じさせる面もある。風や時雨から嵐に変遷している点も留意したい。

言の葉の誠の道を極めることは容易ではないが、その道の重要性を感じ取ることができる。

先の歌に続き、次の歌が詠まれている。


ふた千(ち)まり六百年(むももとせ)の春寒み科(しな)戸(ど)の風は吹き荒れにけり

ふた千まり六百年の春なれや梅の蕾は紅くふくらむ

ふた千まり六百年の春來ぬといえどもだ默せり梅の蕾は

ふた千まり六百年の春なれど梅の蕾はいまだ固かり

ふた千まり六百年の春にして開きがてなる梅の花かな

ふた千まり六百年の春來ぬと梅の蕾に云ひきかせけり


ふた千まり六百年より、神武天皇からはじまり今日に至るまでの人類の歴史をみることができる。梅の花を通して人類史における何かを示しているのではないか。

一首目の、科戸(風の起こるところ、風の神、しなつひこのみこと)の風が吹き荒れているところから始まる。

春は本来、暖かいのだが、寒いのである。しかし、二首目で梅の蕾が紅くふくらむ様子がわかる。一首目の暗雲たる雰囲気とは異なり、暖かな印象を受ける。三首目でまた一転し、梅の蕾はとうとう咲くことがなかった。

いま我々は、時代の先端にいる。果たして梅は咲いているだろうかと考えた。また、梅の本義とはなにか。今後、学習を進めていくなかでみえてくるはずである。

最後に次の歌がある。しかし、ここでは触れず、氏が選ぶ天皇御製と共に次の機会に感想を述べたいと思う。


肇(はつ)国(くに)の皇祖(みおや)の神の眞をば八千代の末に索(ど)むよしもがな

いそのかみふることぶみの辭(ことば)もて掟さだむる時は來にけり

皇祖(すめおや)の貽(のこ)したまへる洪(み)範(のり)とは日本語(やまとことば)の言の葉の道

敷島の大和心は古道に落葉掻き分け索むべかりける




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【七沢 嶺 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。



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