甲斐国の俳人・飯田蛇笏氏の句にみる山国の美 〈後編〉
執筆:ラボラトリオ研究員 七沢 嶺
前編に引き続き、飯田蛇笏氏の句を紹介したい。山や大空、花という自然を氏がどのような感性で捉えているのかに触れ、皆様の心に一時の安らぎをもたらすことができれば幸いである。
春山や鳶の高さを見て憩ふ
大意:春の山がある。鳶が天高く舞っている。私はそれをみて、ゆったりとくつろいでいる。詠み手のこころが、春の長閑で雄大な自然と共鳴しているようである。
春の山と天空の鳶の距離感が、この句を壮大なものにしている。鳶というと、私は川端茅舎の句「麗かや松を離るる鳶の笛」を思い出す。
切り取った瞬間は異なるが、どちらにも鳶の伸びやかな姿がみえる。まるで春の山さえも、鳶の姿をみてくつろいでいるようである。
大空に彫られし丘のつばき哉
大意:まるで青空に彫刻されているかのように丘の上に咲いている椿であるなあ。
「哉」は「かな」と読み、詠嘆の意味である。句にめりはりをつけるために、五七五の間を強く切る役割と、感動の中心がどこにあるかを示す指標となる。「つばき」の後に静かな余韻がある。
椿には、赤や白、桃色等あり、句からは何色であるか断定できないが、空の影法師のような印象であると解釈すれば、青い空に赤い椿が最適ではないだろうか。青い空に純白の椿も映えるが、「彫られし」という強い表現からは赤色なのかと思えてくる。
以上、飯田蛇笏氏のいくつかの句を紹介した。私の訳・解釈等に笑うべき蒙失があることはお詫び申し上げたい。最後に、私事であり恐縮であるが、甲斐の山を詠んだ句を表明する。
甲斐駒も丸くなりたる小春かな
甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)は切立った男らしい山であるが、小春日和という寒中における一時の穏やかさに、少し丸くなったようにみえたのである。
甲斐国の俳人・飯田蛇笏氏の句にみる山国の美 〈前編〉はこちら
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【七沢 嶺 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。
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