不気味な嵐
執筆:ともり
桜が咲くと、それに嫉妬するかのように、それを散らす嵐が起きる。
スクリーンを下ろして窓の外は隠れているが、今年も盛大に吹き荒れているのがわかる。
毎年のように起きるこの嵐。
しかし今年は、自分の感じ方が少し違っている。
なんとなく、「不気味さ」を感じているのだ。
これは「天気」で、過ぎ去るものだとわかっているのに。
一体、誰が予想しただろうか。
行き交う人々がみんなマスクをして。店頭からマスクが消えて。
商業施設も新幹線もガラガラで。
医師や看護師が差別を受けて。
しかしロゴストロンユーザーは、ここで考える。
花粉もウイルスも、物質としては誰を差別するでもなく空間に同じだけ存在している。
しかし同じ空間に居る人間がすべて花粉に反応するわけでも、発症するわけでもない。
その差を作り出すのは何なのか。
脳内の言語信号が、現実に投影される。
現実は、自分の脳内を映し出すスクリーン。
花粉に反応する。
ウイルスに感染して発症する。
それが起きるということは、現実を作り出している信号が、脳内にあるということだ。
ウイルスへの発症も、アレルギー反応と似たものだといわれる。
「外からの刺激に対する、過剰な免疫の反応」。
それが起きているのなら、
もう、そんなに反応する必要はないのだと、
それらは自分をそんなに傷つけるものではないのだと、
もっとゆるやかに捉えてよいのだと、
その「記憶」を作ってしまった過去の自分の感情をなだめ、修正する言語情報を発信し、受信してみてもいいかもしれない。
私の嵐に対する感じ方が去年までと違うのは、
日々入ってくるそれらウイルス関連のニュースが、私の脳内に一種の「情報(記憶)」を作り出しているのか、
はたまたもともと自分の中にあったものだったのか。
いずれにしても、嵐のおかげで認識した、自分の中にある「不気味さ」という脳内言語。
これ以上大きな現実とならないよう、その記憶を、言語情報でなぐさめることにする。
・・・・・・・・・・
【ともり プロフィール】
ともり 目に見えない世界の探求を続けるフリーライター。
この記事は素晴らしい!面白い!と感じましたら、サポートをいただけますと幸いです。いただいたサポートはParoleの活動費に充てさせていただきます。