銀河砂漠の国 Episode 5
執筆:ラボラトリオ研究員 畑野 慶
城壁の外から馬車に乗り、先陣の六人で先を行った。国境沿いまで続く東の大通りである。渦巻く喧噪は外に行くほど弱まった。疎らになった家並みが途切れると、いよいよ越境である。駱駝に乗り換える際、追い掛けてきたロレンツォが合流した。漠々と開けた前方の、目星たる赤い光明は、砂塵が立つ中でも見えていた。一筋の道を照らし出されるようであった。
次第に国から遠ざかり、大小さまざまな砂丘を幾つも越え、流れ落ちる星に願いを掛けた。空の遥か先まで見通せる気がした。砂と銀河の間には、星明りで仄かに色づく闇しかない。
「これはまさに夜明け前の暗さです」
「必ずこの先に日の出が待っています」
時折前向きな声を掛け合った。仲間を気遣う以外に振り返らなかった。夜が続くことで、いかに気温が下がるかを体感しながら、威風堂々と視線を高く保ち、決して縮こまらなかった。空腹も眠気も焦りも覚えず、気づけば時刻は日を跨ぎ、それでも前に進み続けると、やがて地上の灯りが遠くに見えた。ぽつんと一つだけ、星を反転させた虚像のようでもあり、目をこすったが、夜に蜃気楼は起り得ない。近づくほど横に膨らみ、幾つかに分かれ、はっきり見えてきたそれは、王宮で使っているものと同じランプであった。街灯りではなく、現れたのは大きな帆船である。激しく傷んでいて、もはや廃船と呼ぶべき老体である。二本の横帆は骨組みだけで立ち、どちらも下方一列にランプをずらりとぶら下げている。船底は砂に深く埋まり、無論動き出す気配などない。陸に打ち上げられたというより、かつてこの場所は青い海であったことを示す遺産のようである。船は絵画で現存する空想上の乗り物であった。甲板の上に人影を認めると、アンナ・マリーアは誰かも分からないうちに名前を呼んだ。
「ジュセッペ!私は来ました。受け取った手紙を読み解いてのことです」
「おお?・・・はっ!あの小娘じゃねえか。良く来たな。そこから上がっていいぞ」
駱駝とその見張りの一人を残して、示された縄梯子を次々に登った。甲板の上には酒瓶があちこちに転がっていた。
「ようこそ俺の船へ」
「俺たちの船と言ってほしいですね」
「はっ!たしかにそう、俺たちだ。ピーチクパーチクの他にも仲間がいてな、今は下の船内で寝ているところだ」
「私がピーチク?」
「そうだパーチク」
アクアを肩に乗せ、すっぴんで少し赤らんでいる。掛け合いでしゃべる様子を見る限り、酔いは然程回っていない。まず手紙の謝礼を伝えると、ジュセッペはすっとぼけた。
「手紙って何だそれは?」
「私が出したんですよ」
「ピーチクいつの間に。喋る上に書けるとか、鳥のくせに芸達者じゃねえか。なんて書いたんだよ?」
「この場所に来なさいとね、彼女にだけ教えたんです」
「教えられたからって遥々来るか?・・・あ、なるほど。小娘よ、俺に会いたかったのか」
「はい。お願いがあります」
「結婚はできんぞ」
「空に太陽をお返しください」
ジュセッペは大袈裟に肩をすくめた。頭を下げるアンナ・マリーアに、背後のロレンツォたちも続いた。
「盗めと言ったり返せと言ったり王族ってのは我儘な奴らだ。そもそも籠の中に入れて盗んだのは手品だからな。俺の手元にあるわけではない」
「それならば種を明らかにして、元の状態に戻してください。人心がひどく乱れ、このままでは大変なことになります」
「おいおい、種をばらすわけねえだろ。商売上がったりだ。他の手品師にも迷惑がかかる。しかもだ、盗んだように見せたところが手品であって」
「他は種も仕掛けもありません。籠の中だけです。実はランプが光っていたのですが、そう見えないようにする手品ですね」
「まあ、あれが太陽なわけないわな」
「つまり錯覚などではなく、あの矛が持つ力を使って本当に太陽を消した、ということでしょうか?」
「まさにその通りだ。移動させた、と言い換えればな。太陽を呼び戻すには何をすべきか分かるだろう?・・・だが、お前たちには引き抜けなかった。きっとそうだ。あの矛を扱うには強い意志が必要だ。壁を壊して取り出したところで、意志がなければ発動しない。銀河を動かす力は眠ったままだ」
アンナ・マリーアは空を見上げ、銀河の動きに思いを馳せた。太陽が遠ざかる以前から、銀河は少しずつ異変を来していたのではないかと。それを正すことでこの大地にも潤いが戻るのではないかと。
「ジュセッペ、お願いです。矛をもう一度使って国を助けてください」
「はっ!そりゃ無理だ。俺は国がどうなろうと知ったこっちゃない」
「さすが人でなし。鳥が言うのも難ですけどね」
「先日俺が扱えたのは、あの糞野郎を倒してやろうとしたからさ。くだらねえ国になっていたからよ、変わるきっかけを作ってやろうという意志もあった。だがな、その後のことまで面倒見きれねえ。闇に落ちていくんなら、それまでの国ということだ。俺は別に夜のままで何ら困らない。昔から朝が苦手でな、暑いのも勘弁なんだ」
ジュセッペは木箱の上に腰を掛け、投げ遣りな態度で酒を煽った。気持ち良さそうに息を吐き、酒瓶を持つ手をひょいと上げた。飲むかと訊く仕草である。アンナ・マリーアは一歩前に出た。その力強い眼差しは酒瓶など見ていない。
「私が挑戦します。国を導く強い意志を持って。遠慮していたら始まりません。仲間を信じて、国民の皆さんを信じて、共に明るい未来を切り開こうと思います。ですからジュセッペ、私たちと国に来てください。まず私が挑戦する姿を見届けてください。必ず矛を使いこなしてみせます」
驚いたようにジュセッペはアクアと見交わした。そしてアクアはふいに羽ばたき、横帆の隙間を旋回してすぐに戻ってきた。アンナ・マリーアの視線がその動きを追った隙に、ジュセッペは顔に化粧を貼り付けた。明らかに仮面の下は笑っていなかった。
「アンナ・マリーア、あなたは実に素晴らしいお嬢さんだ。裏表なく、本心を言葉にしていますね。私には分かります。世界中を旅して、多くの人を見てきましたから。俳優や手品師は人の観察も仕事のうちです。純粋なあなたは人を疑わない。こんな私のことさえ信じている。ですが、それは諸刃の剣です」
「承知の上でここまで来ました。私一人では何も出来ません。仲間と信じることで道は開かれたのです」
「はっ!お前はその仲間に騙されてんだよ」
「え?」
振り返ろうとしたアンナ・マリーアは、背後から首筋に短刀を突きつけられた。豹変したロレンツォの仕業である。それを咎める仲間はいなかった。
「正体を現したな。下にはわらわら集まって来てるぜ。きっとこいつの息のかかった連中だ」
「ほう、後追いして来たわけですか。計画的犯行ですね。眠ってる仲間が起きてしまいますよ」
アンナ・マリーアは静かに目を閉じた。船外の声が耳に届いた。運命を受け入れるようではあったが、死を覚悟したのではない。それでもロレンツォを信じて、ジュセッペと何か交渉する為の芝居だと思った。
「それは何の真似ですか? 一思いにやればいい。どうせ彼女を始末して、あなたが王になる算段でしょうから」
「はっ!人質のつもりなんだろうよ」
「おい、その腹話術を止めろ。気味が悪い」
ロレンツォは声色や顔つきも変わった。まさに荒くれ者のそれである。
「腹話術? まさか。彼は喋る鳥です」
「鳥の口が発声と微妙にズレてるぞ。所詮お前は詐欺師で盗人だ」
「おっ、気づきましたか。鳥と人は発声方法が違うんですよ」
「俺は超常現象など信じていない。無論、神の存在もだ。空にも必ず仕掛けがある」
「ないと言っています。しつこいですね」
「お前は何がほしい? 人を欺くその力を有効に使えば、世界中の何もかもが思いのままになる」
「ああ、なるほど。言いたいことは分かりました。つまり手を組もうと、そういうことですね。まさかアンナ・マリーアは、本当に人質のつもりですか? たしかに私のお気に入りですよ。側に置いておきたいくらいだ。ですがね、いい女なんて星の数ほどいるんですよ」
ジュセッペが嘲笑すると、ロレンツォも同じように笑い、「敵にも味方にも見捨てられた女」と、耳元で嘲り、突き飛ばして、ジュセッペとの間に倒れ込んだ彼女を見下ろした。
「まだ殺しはしないさ」
「そう、あなたはまだ殺せない。神を信じていないと言いつつ、矛の力を完全に否定出来ないからです。アンナ・マリーアのことを良く分かっているあなただからこそ、矛を操れるとしたら彼女だと思っている。無自覚かもしれませんがね。神がいるとして、どんな人間に力を貸すでしょう?」
「殺せないと分かった上で挑発した、そう言いたいのか?」
「もちろん分かっていました。太陽は二の次に考えていることも。あなたの最優先事項は、陥落した王の処刑なんです」
ロレンツォはふんと鼻で笑った。図星とばかりに否定しなかった。
「まずは民衆の溜飲を下げることだ。奴らは出来る限り無残な公開処刑を求めている。火炙りにするか、引き摺り回すか」
立ち上がれずにいるアンナ・マリーアが顔をもたげた。
「ロレンツォ、聞き捨てなりません。そのようなことを考えているのは、極一部の冷静さを失った者たちだけです」
「いいや大半だ。この世間知らずの大馬鹿者め。相も変わらず国民を買いかぶってやがる」
「すべては信じることから始まります」
「その結果がこれだ!」
ロレンツォはアンナ・マリーアを蹴りつけた。顔を狙っての暴挙である。彼女の両腕がかろうじて直撃を防いだ。
「おお、なんという糞野郎。私は女に暴力を振るう男と組むつもりはありません。あなたがこの場所で正体を明かした理由も分かっています。包囲網を張ってまず閉じ込める。アンナ・マリーアと私をいわば隔離する為だ。公開処刑を行うまでは太陽が戻らなくていい・・・いや、戻らない方がいいわけだ。人心の乱れに乗じて、あなたが残虐な処刑をしたいだけなんです」
「国民の期待に応えて何が悪い。それと同時に日が昇れば御の字だ」
「やはり。処刑によって太陽が戻ったら私たちは用なしで、戻らない場合は恐らく拷問でもして、ありもしない空の仕掛けを聞き出そうとするか、矛を操らせようとするか、そのように考えているのでしょうね」
「素直に力を貸せば高待遇で迎え入れてやる」
「はっ!」と、しばらく黙っていたアクアがくちばしを開いた。
「そりゃあいい話だ。俺や下にいる仲間も同じ扱いになるんだろうな?」
「いいだろう。全員贅沢な暮らしをさせてやる」
「おいおいジュセッペ、良く考えた方がいいぜ? 善人面しても意味がない。俺たちもあいつと同類さ」
「同類? 勘弁してくださいよ」
「意地になるな。必要悪ってやつさ」
ジュセッペが唸りながら小首を傾げると、ロレンツォは取り巻きの者たちと高笑いした。
「鳥に唆されたことにしたいようだな。おい、お前も鳥のせいにしたらどうだ?」
そう訊かれたのは、よろよろと立ち上がったアンナ・マリーアである。射貫くような眼差しは不屈を示していた。媚びへつらう態度は微塵もない。誰かのせいにすることもなく、自分の意志で裏切り者と向かい合った。
「ロレンツォ、私はあなたに騙された。強大な権力に目が眩んでいるとは気付かなかった。私の甘さが招いたことと認めます」
「恋は盲目だなあ。俺はそれを利用した。お前は負け犬だ」
「あなたは勝ったつもりになって、大切なものを沢山失って、たとえ強大な権力を手にしたとしても、末路は今の私か、私の兄と同じです。あなたが、あなたのような者に、騙される日が必ずやってくる。その繰り返しを未然に断ち切らなければならないのです。私は決して屈しません。国の為に」
「出たよ国の為」
「そして、あなたたちを改心させる為に」
どっと嘲笑したのはロレンツォの取り巻きである。彼自身はむすっとして背後を一瞥した。
「目をそらすなロレンツォ!」
彼は睨み返して威嚇するように近づいた。そのアンナ・マリーアとの間にジュセッペが割って入った。
「おっとお、これ以上の暴力は私が許しません。私には奥の手がある。舌を噛み切って死ぬというね。種明かしをせずに死なれたら困るのでしょう? 種なんてないのに、あるかもしれないと思われている限り、この舌が武器になります」
「はっ!そうじゃなくても舌は武器だけどな」
「そう、言葉です。意志を明確にするものです。特に国を導く者は、最も大切に扱う必要があります。さあ、あなたは王になって何を成し遂げたいのです?」
「こいつ? 訊くだけ無駄さ。私利私欲だけ。王になったところで三日天下。性格も悪けりゃ頭も悪い。慢心極まった糞の中の糞野郎だ」
言下、ロレンツォはアクアを鷲掴みにした。ぐえ!と叫び声がして、水色の羽根が散り舞った。そして、掴む手が殺意を帯び振り下ろされた瞬間、ロレンツォの足元に水滴が走り、アクアは液体のように指の間をすり抜けた。開かれたその掌は滴るほど濡れている。
(つづく)
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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。
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