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真・美術論

執筆:美術家・山梨大学大学院 教授 井坂 健一郎


暮らしの中にある「美」

人は気づかないうちに美を求め、美を生み出していることがあります。
それが人間本来の営みなのでしょう。

おそらく大半の人たちは、造形的な美の体験を学校の図工や美術の授業のみで触れており、鑑賞する美は美術館やテレビやインターネット上で見た体験だけではないでしょうか。
もちろん、それらから得たものも「美」ですが、それはほんの一端なのです。

いや、むしろ永遠の美、無限の美は、皆さんの身の回りや皆さん自身の中にあるのです。

今一度、自分の生活を見つめ直してみましょう。
人間は、人間がつくり出した(造形表現した)ものに囲まれて生活しています。そしてその中で更に自分の居心地が良いように物と物とを並べたり重ねたり、あるいは加工したりして自分の空間、自分の居場所をつくっていますよね。
そうなのです。皆さんは空間の表現者でもあるのです。

本文作品


現代美術は難解か? ─ 「わかる」「わからない」という価値基準を問う

「現代美術ってよくわからない」、そういう言葉をよく聞くことがありますね。
しかし、本当によくわからないものなのでしょうか。「わかる」とはどういうことでしょうか。どのような価値観で現代美術を見ているのでしょうか。大いに疑問です。

「わかる」というのは、対象物の名称が「わかる」くらいに具体性をもって表現されているところに基準を置いていることがあります。そこに基準を置くと、具体性が欠如していけばいくほど「わからない」ということになってしまいます。

では逆に写実的に表現された古典美術の作品は「わかる」のでしょうか。
先ほどの「具体性」に基準を置くと、写実的に表現されていて何らかの名称が認識されるものを「わかる」と思っているだけで、その作品が本当に表現したかったことは「わからない」と思います。

むしろ、同時代に生きている美術家が表現したものは、同時代に生きる人にとって、最も理解できる表現だと思うのです。現代美術作品の表面だけを見て判断するのではなく、その表現が生まれる上での作者の意図や時代背景もあわせて鑑賞すると、自分の経験や知識とリンクしていくことがあるのではないでしょうか。

実は、そのような「美を読み解く力」が必要で、その力は皆さんが持っているものなのです。その力を偏った経験や知識という厚いオブラートで包み込んでしまっているだけなのです。

そのオブラートを自ら溶かしていけば、多様な美術表現を受け入れる「美意識」が生まれます。
そしてそのことが生活を豊かにし、人生に潤いを与えてくれます。

そのスイッチの役目が芸術作品であり、同時代の現代美術作品でもあるのです。

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【井坂 健一郎(いさか けんいちろう)プロフィール】

1966年 愛知県生まれ。美術家・国立大学法人 山梨大学大学院 教授。
東京藝術大学(油画)、筑波大学大学院修士課程(洋画)及び博士課程(芸術学)に学び、現職。2010年に公益信託 大木記念美術作家助成基金を受ける。
山梨県立美術館、伊勢丹新宿店アートギャラリー、銀座三越ギャラリー、秋山画廊、ギャルリー志門などでの個展をはじめ、国内外の企画展への出品も多数ある。病院・医院、レストラン、オフィスなどでのアートプロジェクトも手掛けている。
2010年より当時の七沢研究所に関わり、祝殿およびロゴストンセンターの建築デザインをはじめ、Nigi、ハフリ、別天水などのプロダクトデザインも手がけた。その他、和器出版の書籍の装幀も数冊担当している。

【井坂健一郎 オフィシャル・ウェブサイト】 http://isakart.com/

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