シニアの多言語習得・・「勤行」から学んだホリスティックメソッド・メモ
もう何年になるだろう?!サンスクリット般若心経を毎朝唱え始めてから。
最初覚えるのは大変だった。あの世に行く迄には覚えられるだろうと思って覚え始めた。
今では、何も見ないで唱えている。何か少しでも、気が散ったり考え事したりすると間違える。なあーんにも考えずに音の感覚に身を任せて只管唱えているとちゃんとできる。でも、時々不安になる個所がある。そんな時は、メモを見てチェックするし、未だに学んでいる感覚。
ある時ハッと気づいた。語学も、こうすればいいんだと!
とにかく、一度に複数の言語を学習すること自体、無謀というものだ。特にシニアにとっては。ただ、私の場合、言語学的観点、ヴィパッサナ的観点から、自分自身を実験台にしている感覚だ。今、英語会話に挑戦しているが、目標は「ネイティブ並の会話力を獲得すること」であり、メタ目標は「シニアがネイティブ並の会話力を獲得することが何処まで可能かを、自分を実験台にして実験すること」である。
今思うポイント:
1 とにかく全体にざーっと目を通す・自分の各言語体系全体を「ひとつ」として意識する(ホリスティック)
2 各言語を個別に考えず、とにかく毎日接する(繰り返す/ ホリスティック)
3 まとまった時間が取れたら「勉強する」ではなく、短時間・一瞬でもいいからできるかぎり毎日何回も各目標言語に触れる(日常生活化)
4 考えないでひたすら触れる(無意識)
5 声に出す(音声/ 感覚)
6 無理に覚えようとしない : 覚えられないものは覚えなくていいもの・縁がないもの
7 忘れてもいい : 必要ならまた覚えればいい : ぜーんぶの感覚「ひとつ」だけ意識し続ける(ホリスティック)
8 各言語世界の「クオリア」「匂い」「フィーリング」全体に浸り切る(ホリスティック)
9 その言語に習熟して一定以上自分のものにするということは、その新しい言語「世界」を身につけるということ。つまり、世界が拡がるということ。多世界を獲得するということ。いくつもの人生を生きるということ(欲張りかも)。
10 「多世界」を日常生活の中で同時に生きる(日常生活/ ホリスティック)
11 年齢を言い訳にしない!=自分は記憶力がとてもいい!と確信する!(これは大事!)(実際は、とても暗記力が弱いのです(T-T))
12 外国語=ことばは「勉強する」のではなく、日常生活の「習慣」である=一生付き合う(と覚悟すること)
13 「完全」を目指さない :「言語習得」に「完全」はあり得ない(言語は日々変化していってるのだから)
14 楽しめないとき、その言語体系・「ことばの匂い」にアレルギーを感じる時は、無理に学習し続けない
・・今の時点で感じることをまとめた。異論もあるかと思う。批判していただけたら助かりますm(__)m 自分でも「クレージー!」と言いたくなる時が毎日なんどもありますし・・。