完璧にこだわりすぎないこと
Bonjour!
みなさんこんにちは!pariskeitoです!
パリにいるといつも日本でいるときはなぜあんなに完璧になろうとしていたんだろうということに気付くわけです。
ありのままじゃだめ?
日本ではありのままでいることは難しい。
誰かに認められたり、成長したりステップを踏むことを必要とされて、もしそのステップから脱落したらなかなか元に戻ることが難しいと言い聞かされてるような感覚になります。
だから、失敗したらどうしよう。がずっと自分の周りに付き纏う。
そんな風に脅かされる人も多いのも事実だと考えます。私も時々そんな渦に巻き込まれることもあるのですが、パリにいるとそんなことが全部いい意味でどうでもよくなります。
日本にいると周りはこう思うから制御しないと変だと思われるという謎の固定概念がありますよね。太ってるとミニスカートを履いたりや露出激しめの恰好ができないとか。自分は本当はこうしたいのに、周りの目があるので〇〇出来ないという不安を乗り越えるのは人によってはとても難しいことなのかもしれません。
私は日本にいるときから変だと言われることが多かったのですが、きっと自己表現を人よりも激しめにしていたと思います(笑)言いたいことは言ってたし、やりたいことはやっていた。こうしたいという想いがあれば、それを口に出して実行していました。日本ではこういう人間を変と呼ぶのでしょう?そういう空気がどんどんなくなればもっと自己表現が楽な国になるのにと思うのです。こうなりたいがあるのに周りの空気に苦しんでいる人に声をかけたいし手を差し伸べたいです。だからオンラインサロンをやっていますし、自己表現をもっと自由に恥ずかしいと思わず、自信を持って前に進んで欲しいし自分も自信を持てる人間になりたいとずっと思ってきました。
完璧な人生なんてない。
完璧な人間もいない。
100%なんてない。
完璧を諦め、自分を解き放ち完璧ではなく自分らしさを見つけることの方が人生はずっと楽しくなると思いました。
周りの声に耳を傾けるよりも自分の心の声に耳を澄まし、自分と共存して生きていく。そんな人生の方が完璧な人生よりもずっと素敵だと知りました。
抽象的でもいいじゃない?
具体的に自分の夢とかやりたいこととかを言葉にしたり、行動したりすることは難しいことかもしれませんが最初はそんなものです。
時々嫌になって、時々好きになって恋のようなものに近いです。
やりたいことの見つけ方を正しく教えてくれて正確に理解できる人なんてあまり多くいません。
沢山色んなものをみて色んな人に会って、色んな場所に行って自分の心がときめくまで動いてみるのはどうでしょう。疲れたら休めばいいしぐっすり眠ればいい。
行動と休憩を繰り返し、失敗と成功を繰り返し、そんな中で色んなものを知るのが人間だと思います。それで気付くこともあるし回り道だと思ったら近道だったり。
でもそういうことに気付けることも出会えることも幸せだと気付けたら自分の人生って結構良い人生なのかもしれないって思える瞬間がいつかきっと来ます。今、これは間違いかもしれないと迷ってることがあったとしても続けているとこれをやってて良かったと思える未来がそこにあるかもしれません。
今はわからないことが『現在』の時間軸には沢山あります。
どこまで自分を信じられるのか。どこまで自分と走れるのか。それが全てです。
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