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ノヴァーリスの「サイスの弟子たち」哲学的なあまりに哲学的なー小説


●初めに

なぜ出会わなかったのだろう。
いや今までの自分だったら、もし出会ったとしても素通りしていたはずだ。この本の持つ謎めいた魅力というものが理解できずに、手に取って数行眺めただけで放り出してしまったかもしれない。
子供時代は自然と戯れることがあんなに上手だったのに、哀しいかな大人になると、その頃の純粋な驚きとか喜びの感情をどこかに置き去りにしてきてしまう。そんなことを思い出すきっかけを与えてくれたこの本だが、今回惹かれたのにはもちろん他の理由があった。

「不可解とは、要するに、理解力の無さがもたらす結果に過ぎない。
理解力が無いと、自分がすでに持っているものしか求めない。
だから、それ以上の発見にはけっしていたらないのさ。
ひとが言葉を理解しないのは、言葉自身がみずからを理解せず、
また理解しようとも思っていないからだ」

(本文より抜粋) 

最初に本の魅力を謎めいたという言葉で済ませてしまったが、実はこの文章の不可解が示す通りのものと同じ立場にいるのだった。それはもうこれでよいと自分に限界を設け歩みを止めることでもある。
この100頁にも満たない短篇には、そのように心を捉え、触発させる文章や言葉たちが、綺羅星のごとく散りばめられているのが魅力である。

●「サイスの弟子たち」について

『サイスの弟子たち』はノヴァーリスという僅か29年足らずで夭折した19世紀初期ドイツ・ロマン派の詩人による初めての<文学作品>である。
詩でも思想書でもなく一応<小説>と分類はされているものの、それらの部分を確実に含みながらも枠に収まり切らない、哲学的な小説である。
とはいえ使われる言葉や文章はむしろ平易であり、取っつきにくさはない。

物語としては、師と呼ばれる人物と弟子たちが共に修行を続けるという大筋はあるものの、中心にあるのは自然というものをめぐっての対話にある。
それは「自然とはどういうものなのか」と言う問いかけに始まり、「自然と人間との本来そうあるべきはずの関り方」について展開される。
弟子や旅人たち、それぞれが様々な意見を語りあう中、師は大事なのは各人各様の自然感覚を呼び覚ますことだという。

どのくらい経てば自然の秘密にあずかれるのか、その時期は定めることはできない。いち早く到達した幸運な人も少なからずいるが、、ようやく高齢になってからという人もいます。真の探究者は、けっして老いることはない。

岩波文庫本文より

小説中に語られる<ヒヤシンスと花薔薇のメルヒェン>という挿話には、ノヴァーリスが語ろうとした思想が、それこそお伽話の形を取りながら凝縮されている。
ヒヤシンスという若者が万物の母である女神を求め、花薔薇という恋人の少女や両親を捨ててまで異国へ旅立たずにはいられなかった情動の正体。またその果てに見つけた真実の世界とは。
それはまるで自分自身が長い遍歴の旅の果てに辿り着いたとでもいうような、求めていたのは本当はこのような小説であったことを気付かせてくれたりもしたのだった。

●万物の女神イシスが意味するもの

サイスとは、エジプトのナイル河河口デルタ地帯にある町。神殿に祀る女神像イシスには「彼女のまとう外衣(ヴェール)の裾は死ぬべき人間には掲げることはできない」という意味が刻まれているという。
この女神とは、先程の挿話に出て来た万物の女神イシスのこと、聖母マリア的な観念も持ち合わせた聖なる象徴的存在でもある。
弟子の1人である<わたし>は、真のサイスの弟子なら、あのヴェールを掲げようと願わぬ者はいないだろうと思う。
これはいったいどういう意味なのか。
ヴェールを掲げるとはつまり捲ってその中を覗くことに他ならないから、聖母ならぬ女神の処女性を考えれば禁忌以外のなにものでもない。命をも落とすだろう。それならば何とか不死を願ってでも真理へ到達したいと願う弟子の<わたし>に、ノヴァーリスは自身の文学に対する強い思いや思想を重ねていると思われる。
残念ながらこれは未完の小説であり、ノヴァーリスは最後まで肺の病と闘いながらも、続きというよりは改作ということに意欲的であったようでメモも残されている。

すでに記した<ヒヤシンスと花薔薇のメルヒェン>という挿話の最後で、ヒヤシンスという若者は憧れの女神イシスの元へやっと辿り着く。そしてそのヴェールを掲げるのだー。

彼はそこに何を見たのだろう。
彼がつかんだ<真理>とは何だったのだろうか。


小説の最後の<補遺>にはこのような興味深い言葉も記されている。

ある男がなしとげた―彼はサイスの女神のヴェールをかかげた―
だが、かれはなにを見たか。彼は見たのだ―奇跡の奇跡ー○○○○を。

補遺2より

もしこの続きに興味を持たれたなら
○○○○に入る言葉をぜひ本で確かめてほしい。

夜の讃歌・サイスの弟子たち
他一篇

ノヴァーリス作/今泉文子訳
(岩波文庫)


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