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【ゆる東京旅⑦】2日目夕方*10年前ひとり泣いた日のリベンジ。吉祥寺「井の頭公園」へ


☕️


「もう新潟に帰りたい……」


約10年前。
涙ぐみながら、わたしは吉祥寺駅近くのカフェでひとり、母に電話をかけた。

20代のはじめ、新卒で関東の福祉施設で働き、
そして適応障害となった。

「帰って来られると困る」

そう一言、告げられた。


☕️



でも、自業自得だった。

新潟なんかで一生を終えたくない。
新潟だけしか知らないまま、死にたくない。

そう思って、超就職氷河期に就職活動をしてなんとか内定をもらって引っ越したのに、情けなかった。

あの頃は、東日本大震災があって、東京に出たのにトイレットペーパーも買えないような状況だった。

寝ている時も毎日余震があって、おしゃれな壁がけシェルフが落ちて頭をぶったのに、明日の仕事の心配の方が大きくて気にもしていなかった。



自分が思っていたよりもわたしは無能で
集団で働くことができなくて、仕事ができなくて、毎日仕事に行くのが、リーダーと保護者の方に会うのがこわくて。

管理できないほどの、何錠も処方された薬を飲みながら仕事に行っていた。



仕事が休みの日。

気分転換に吉祥寺の井の頭公園に行ったのかな?
全然記憶がないや。

でも、これだけは覚えている。
周りはみんなカップルか友達同士で、
さみしかったこと。

そして、わたしは孤りボロボロで、誰に頼れば分からずやっと電話したのに、突き放されたという事実。



そんなわけで、吉祥寺は憧れの地であると同時に、黒歴史で苦い思い出のある街だった。


こうして血みどろの20代をなんとか生き抜き、
和解をしないまま母は自分が思ったよりもうんと早く、旅立ってしまった。



あれから10年後、わたしはまた井の頭公園に来た。
記憶を上書きしたかったからだ。

今度は、わたしの全てを知っている友人と
一緒にきたよ。



スタバひとつでも
新潟とはお客さんの層が違くて
外国みたいでウキウキする笑



暑い中たくさん歩いたので
自販機でスポドリを購入
この自販機、見覚えある!!



向精神薬的なものは、もう飲んでいない。
胃腸系と婦人科系の漢方薬は飲んでいるけれど。



こうして、ポツポツとした重めのエッセイを
書くのは久しぶりだな。

ただ、わたしがSNSやnoteに書いているのは、
わたしの中のほんの一部でしかなくて。
プライベート全てを晒したくはないから。

自分自身も問題まみれだし
有料の単品エッセイを買ってくださった方は
知っていると思うけれど、家族にも色々問題がある。

https://note.com/parincafe/n/n91aa607237db


でも、不幸自慢をして特別になろうとしても満たされないことにやっと気がついたんだ。




母がどう思うとか、世間がどう思うかとかじゃなく、自分はどうしたいの?と問い続け、32歳からは生き直しをはじめた。

わたしはずっと、わたし自身の良さを認めずこんなままじゃダメだ!といじめて、他人の人生を生きていたんだ。





暑いけれど、木陰になってくれる緑たちに
感謝しながら、てくてく歩く。

あぁ、ここで朝散歩してラジオ体操なんかして、それからカフェで仕事なんてできたら最高だろうなぁ。


TVでよく見るアヒルボードに
乗っている人、いなかったなぁ
お盆だからかな??



当時は、このドロドロとした思いを抱えているのがしんどかったし、誰かに吐き出したかった。

でも、職場の人や、まともな家庭で育って
結婚していく友人に同情はされたくはなかった。


わたしのせいでみんなに気を遣わせていることに
気づいたとき、恥ずかしくて逃げ出したくなった。


だから、他人に聴いてもらおう、と
いのっちの電話にかけたり
カウンセリングを受けた。

壮絶な人生を振り返り、ティッシュ何箱分も
鼻水垂らしながら。


ただ、話を聴いて欲しかったんだよね。

そして、よくここまでがんばったね、と
言って抱きしめて欲しかった。


おや?なんか神社みたいなの発見💡
せっかく持ってきた御朱印帳の出番だ!やった〜〜




だからこそ、
話を聴いてもらう、という効能を強く信じている。

わたしの前では、いくらでも憂いてもいい。
不幸自慢をしてもいいよ。



あなたは、もしかしたら
わたしよりもうんとうんと
恵まれている環境かもしれない。

人から見たら、小さな悩みかもしれない。

でも、比べても仕方がない。
あなたが辛いんだから、辛いんだ。


お金の神様がいたので
お金を洗うことにした



やだ、どうしよう、お金持ちになっちゃう💋




わたしもずっと、20代の頃は 

「もうこれは、障害でも気質でもなく
ただの甘えた病では???」

と、恥ずかしさと罪悪感を抱えてきた。




だけどね。
あなたは、間違いなく頑張ってきた。

まず、それを自分自身が
誰よりも認めてあげようね。




今思えば、東京で働き、立派な自立をする。
これすらも、
わたしの本心だったのかどうかわからない。

あれは、母の願望だったのかもしれない。

(母も昔東京で働き、新潟に戻ってきた過去がある)



毒親だとか、アダルトチルドレンだとか
色々言葉があって
正直どれに属するかはよくわからないけれど。


いまなら母の苦悩も少しはわかる。

母自身が生きづらかった。

そして娘のわたしに求めていたのはきっと、
どこか安定した企業で働くか公務員になって、
結婚して家を建てて、フツウな娘を育てた!
自分の人生を肯定することだった。



できなくて、ごめんね。
でも、これがわたしなんだ。

わたしは、普通になんて働けない。

喜んでもらいたくて、褒めてもらいたくて
学級委員もやったし、
嫌いでヘタだったピアノの伴奏者もした。

ただ、あなたに喜んで欲しかった。



習字を習わせてくれてありがとう。

お母さんに似たおかげで
字が綺麗だと褒められるし
困ったことは一度もないよ。

書くことが今でも大好きだし
手書き文字を仕事にだってできたよ。



本当はこの坂道にあるチャイ屋さんにも
行きたかったけれど
これから夜喫茶なので我慢😣





今は令和という時代になったよ。

お母さんが大好きだった嵐は活動休止しているし
ジャニーズもなくなったよ。

今年の紅白には、ジャニーズが1組も出ないんだよ。

信じられないでしょう??



でも、わたしは気に入っているよ。

どんどん普通がぶっ壊され、
個人主義で軽やかになっていくこの時代を。

ちなみにわたしは、平野紫耀くんの生き様に
憧れているよ。




ずっとフツウを追いかけてきたけど
わたしは、フツウになりたいんじゃなくて
フツウじゃなくても受け入れられたかったんだ。

しあわせのカタチは人それぞれだから。


わたしは、不器用だけど、空白期間まみれだけど
なんにももっていないちっぽけな存在だけど。

こんな私でも生きてきた生き様を通して、
人に勇気を与えられる人になるよ。



みんなと同じが、安心だった時代はもうおしまい。

あたりまえだったことが
良いとされていたことが
簡単にひっくり返るし

個人が大きな闇に打ち勝つ時代だってくるよ。


たとえ今1人ぽっちでも、
その場所でどうしようもなく
苦しくても味方が誰もいなくても

生きてさえいれば、なんでもできるんだよ。
また、井の頭公園に来ることができる日が来るよ。



強いて言えばね、珈琲が飲めるようになった今
一緒に喫茶店巡りがしたかったよ。




☕️





西荻窪に戻っていざ喫茶店へ!の前に
どうしても甘いものと珈琲の前には
しょっぱいものを入れたくて笑

呆れながらも万全な状態で望みたいという
熱血カフェオタクに付き合ってくれる友人に
圧倒的感謝🙏





ヤバい。さっぱりしていて、めっちゃおいしい…
感動。
お店のお姉さんたちも感じが良すぎて
また来たいお店となりました🥳🎉





1話から一気読みはこちらからどうぞ🎞️





お話を聴いて、ひたすら褒める活動を
しています☺️🌼

忘れかけていた、あなたのいいところを
一緒に引き出します。



素直な花を咲かせましょう
心を開く、アトリエSunao


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