出来れば近くで一緒に笑いたいよ。#映画感想エッセイ 『怪物』
ネタバレはありません。どうも、コーシです。
おそらく鑑賞から早3週間ほどが経っている。やっと、作品と向き合ったこの3週間を言語化する覚悟ができた気がする。
半年以上前のまだまだバリバリの受験生だった頃にこの映画が情報解禁された。
「是枝裕和×坂元裕二」心から興奮した。理由は言うまでもないだろう。とにかく辛い受験期を一歩一歩進んでいく過程で、頭の片隅でずっとこの作品を楽しみにしていた。
作品鑑賞における”楽しみ”とはあまりにも多様だ。決してワクワクだけで完結するものでもない。割とネガティヴだったりする。覚悟が必要だったりする。
もしかしたら、気がつかなければ”個人的な人生”は楽観的だったのではないか、というこの世の要素に気がついてしまうことがあるかも知れない。この世に楽観的になれない、けど生活していくしかない、と考える自分の性格は今までの多くの映画や音楽、小説、絵画の鑑賞から培ったものだ。
作品鑑賞のおかげで、その分深みのある人生を送れている。
ようやくこの時が来た。『怪物』を観終えた。
私の心はあまりにも痛みを感じすぎていた。思考したい自分、一度思考を放棄したい自分、思考しなければならないと自分に課す自分。
万人は必ず誰かにとって悪者で敵となる。そう感じる。
「見た目で人を判断してはいけない。」小さい頃からそう教わり続けてきた。もちろん、心がけている。心がけはているが、判断しているしされている。これは間違いがない。
勉強で分からないところを教授に質問しにいくと「意外に真面目なんだね。」と言われる。人が落としたものを拾うと「意外と優しいんだね。」と。小説を読んでいると「本好きなんて意外だね。」と。「サーフィンしたい」というと「やってそう。」と。いずれもまだ関わりが浅い人によく言われる。
人は言ったことより言われたことのほうが覚えている。おそらく私も、知らない間にこのようなセリフを吐いたことがあるのだろう。少し落ち込む。
中には見た目や言動、行動などからその人を判断し、コミュニケーションを取ろうという気すらない人もいる気がする。気持ちは痛いほどわかる。どうせこの人とはまともに話したところで、、、そう感じてしまう瞬間の感情は手に取るように分かる。
だからこそ私はその感情は押し殺すようにしている。関わってみないと分からない、と自分に言い聞かせているし、実際関わってみないと分からない。
人生で何度かこんなことを感じたことがある。
どうかあなたと一度面と向かって話がしてみたい。僕はあなたが思うほど悪者でもないかも知れない、敵ではないかも知れない。たとえ見かけが似ていても、いつかあなたの心に傷をつけた人と僕は別人だ。もしも僕の見かけが多少違えば、あなたは話してみようと思ってくれたのか。どうか一度、打ち解けようと歩み寄ってきてほしい。
しかし、こんなことを考えたところで無理なものは無理だった。
彼ら彼女らにとって僕は悪者であり、敵なのだ。ニュアンスを細かく表すならば、彼ら彼女らの経験上、僕は悪者で、敵である可能性が高いのだ。
これはもう仕方ない。我々生物が持つ防衛本能というやつだ。人間は生きた年数が多いほど、「こういうやつは〜」と人を分類し、自らを困難から遠ざける術を身につける。
僕が僕らしくいる以上、僕は彼ら彼女らを僕の目の行き届かないところまで追いやってしまっている。それは僕の不手際なのかも知れないし、僕に似た誰かの不手際なのかも知れない。
また、当人たちはそのつもりは無いのだろうが、誰かに追いやられている感覚もまた、分かる。彼ら彼女らの目の届かないところまで来て、やっと、笑っている。
お互い、笑顔を見れたらいいのに。直接的な関係がなくても、互いを認識できる場所で笑えたらいいのに。
この社会では無謀な願望だ。そして私に彼ら彼女らの前で笑う勇気は無いのだろう。
コーシ しそとツナ缶。
Instagram @kohhhhhshi.f (アート投稿中!)
Twitter @kohhhhhshi_f
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