源氏物語とフラワーエッセンス〜夕顔
※写真はドラマ光る君への中で出てくる廃邸のシーンが、多くの方もおっしゃっていた通り、夕顔と光源氏の逢瀬を彷彿とさせるため使わせていただきました。
源氏物語とフラワーエッセンスを書いた理由
私にとってフラワーエッセンスは、自分の内面を深く見つめるために「一緒にいてくれる存在」で、その深く心に潜り込む過程では見たくない自分や心の傷を見つめることも多々あるため、どうしても深刻になりすぎてしまうところがあります。
「もう少しチョットフラワーエッセンスと一緒に楽しんでみたい。」
そんな気持ちで源氏物語のシリーズを少し書いています。
前回は大好きな朧月夜について書かせていただきましたが、今回は、これまた大好きな夕顔とフラワーエッセンスについて書いてみます。
夕顔はどんな女性?
まずは夕顔についての説明ということで、また外部のサイトから説明をお借りします。
〜以下、1万年堂出版様サイトより引用〜
私も、夕顔というと儚くて頼りなげ。
透明感に溢れてる。でも相反するような香り立つよつな妖艶さ艶かしさ、色気、そしてどこか逞しささえある。そんなイメージを持っています。
夕顔に手渡したいフラワーエッセンス
そんな彼女からイメージしたフラワーエッセンスは「クレマチス、ベイビーブルーアイズ、イブニングプリムローズ」です。
クレマチス
これは夕顔からいちばんに思い浮かんだエッセンスです。
夕顔の花が白いお花なのも相まって、儚げで透明感のある夕顔から、白くてポワンと発光するようなクレマチスが真っ先に思い浮かびました。
エッセンスとしても、バッチ博士が「夢見がち、眠たげ。しっかりと目が覚めていない。人生にあまり興味がない。」と言っている通り、どこか浮世離れしていて、心ここにあらずで、現実感がない人に、必要なエッセンスであり、なんだか夕顔そのものな感じがしてしまいます。
と同時に、クレマチスの木化した茎は本当に力強く、他の植物に絡みながらグングン伸びていく、「逞しさ」という側面もあります。そこもまた、娘を守るため市井に紛れ、さらに光源氏に積極的に自ら歌を送る、儚いだけではない夕顔の側面を見事に表している気がします。
ただ儚げで夢みがちでフワフワしているたけでなく、実際現実的に生きていく逞しさも備えている。クレマチスのエッセンスならそんな夕顔の相反する魅力を上手く包み込んでくれたかもしれません。
ベイビーブルーアイズ
このエッセンスについて、『フラワーエッセンス辞典』に「ベイビーブルーアイズのエッセンスが助けになるのは、子供時代に父親との関係が希薄で、十分な支えを受けとれなかった人」という記述があります。
そして夕顔はというと、どうやら父親を早くに亡くし、上流貴族としての生活ができなくなった拝見があり、物理的にはもちろん、精神的にも『父親に守られる』という感覚が気薄なまま大人になったのではと思います。
夕顔は光源氏の前に、光源氏のライバルであり良き友であり、これまた美男の貴族である頭中将とも恋愛関係にあり娘もいますが、頭中将の正妻から嫌がらせを受けたことがきっかけとなり、お別れをしています。
最終的には、光源氏の恋人の一人であった六条の御息所の嫉妬により夕顔は命をおとすのですが・・・そのようなエピソードたち含め全体的にどこか『守られていない』印象を受けました。
ベビーブルーアイズのエッセンスは夕顔を、本当の意味での無邪気さを持ちつつ、しっかりと生きていけるよう、本当の意味での男性的に『守って』くれたのではと感じています。
イブニングプリムローズ
名前の通り夜に咲き、翌日の午前中にはしぼんでしまうお花です。
夕顔のお花も、同じく名前の通り夕方から咲きはじめ、翌朝には萎んでしまう。そこの繋がりから感覚的に選びました。
イブニングプリムローズのお花は黄色いのですが、その花びらはハート形で愛らしく、同時にとても柔らかでデリケートな印象を受けますし、いい香りを放っています。そんなお花の雰囲気が夕顔のイメージに重なります。
一方でお花だけでなく、全体を見てみると、意外と?逞しい印象を受けますし、実際咲いているのは、道端や線路沿いなどどちらかというと、植物にとっては過酷ななんじゃないかなと思ってしまうような場所に咲いています。
そんなところも、儚く愛らしいながら、市井に紛れて暮らしていた夕顔を思い起こさせます。
エッセンスとしては、幼い頃(胎児の頃含む)に受けた心の傷(とりわけ母親からの)に対してのアプローチが一般的です。夕顔は母親とも早くに死別しているようです。
きっとこのエッセンスは、夕顔の心の底にある不安や寂しさ、心許なさを優しく包んでくれたのではないでしょうか。
その他徒然なるままに感じたこと
私たちは学校で歴史を学びますが、どうしてもその中においては『史実』を暗記することがメインになります。
でも授業の歴史で名前を覚えるような有名な人だけではなく、名前も残らないような一人一人の人に人生や想いがあって、歴史の中に出てくる出来事の裏には、多くの人の人生があった。
平安時代も、夕顔のように、両親を早くに亡くし、その心の傷や寂しさを抱えながら、人を愛そうそしたり、どうやって生きていこうか模索したり。
そんな人たちがきっといたんだろうな。そしてその時の心の機微は、なんら今の私たちとそんなに違うものではなかったのではないかな。
改めてそんな風に感じました。
クレマチスについてこちらにも書いています。
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