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ワークショップデザイナーの役割

佐伯胖氏講義メモ 基礎#1-5

●「根源的能動性」とは

 ソクラテスは教育を産婆術に例えた。実際に母親が出産する場面に立ち会うと,陣痛が始まり母親は子を産もうとするが,最後の瞬間には赤ちゃんの「よし出るぞ」という根源的な欲求を感じる。これを「根源的能動性」と呼ぶ。

●「意思(意志/will)」「意図(intention)」と「自己原因性感覚」

 意思(意志)とは「何かを起こそう」とすること,意図(intention)とは「○○(決まったもの)を起こそう」という気持ちのことである。生まれた赤ちゃんは,出生後9週間ころには,不快な状況を快い状況に変えるという意図を持った行動が増え,他者の意図にも気づくようになる。これを「意図の発見」という。その後,12週ころには自分の手を閉じたり広げたりすることをじっくり観察するようになる。これは「動かそう」という意図しない意思と「動いている」という結果の因果関係を観察することを通じて,「思わずやっていること」と「それによって何かが起こる」という事実に気づくということであり,これを「意思の発見」という。ド・シャームは,このような「自分が何かの物事の原因になっている」という感覚を「自己原因性感覚」と呼んだ。

●教育現場における「他者原因性感覚」への移行

 一方で,人は成長するにつれて「自分は何かに動かされている」「人の意思に合わせて動いている」という「他者原因性感覚」を持つようになる。佐伯はこれらをチェスに準え,それぞれ「指し手感覚(origin)」と「コマ感覚(pawn)」と呼んでいる。教育現場では往々にしてoriginからpawnへの移行が進みやすく,自分が物事の主人公になることを忘れてしまって,無意識に根源的能動性を無視してしまう結果になることを示した。
 その具体例として,石黒広昭氏(立教大学)のフィールドワークが参考になる。小学1年生の集団が入学から数か月でどのように変容するかを調べたものである。入学時にはバラバラな行動をしている子どもたちも,何事も「教師の指示で一斉にやる」というトレーニングをくり返すことで,1か月後には教師が指示しようとしていること(教師の意図)を先読みして行動できるようになる。つまり,教師の意図を自分の行動の原因に取り込んで行動しているということである。このように意図を汲むことを「発達」と見なすこともできるが,その一方で個人の自然な疑問や意図は置き去りになってしまう。4か月も立てばその傾向は集団としてほとんど完成する。

●「教える-教わる」という関係性の弊害に気づき,考え直すこと

 ヒトが成長過程でなぜこのような反応を示すのかを考えたときに,ホーナーとホワイトンの実験が参考になる。チンパンジーとヒトの子どもを用いた実験によって,ヒトはチンパンジーよりも意味や目的を考えることを放棄しやすく,他者(特に力関係で上位のヒト)が示したことをそのままくり返す傾向がある。これには,上位のヒトと同調することで自分も上位の仲間入りができるというメンタルモデルが潜んでいると考えられる。このメカニズムがヒトという生物の特性なのか育ち方の問題なのかはわからないが,これが「教える-教わる」という世界でも成立してしまうことが多い。すなわち,「教える者の意図に合わせ従うこと(=根源的能動性を捨てること)」が,「教える-教わるを成立させる」という学習観である。児童はこの学習観に特化した成長を示し,やがて「学校向け人間」になってしまうが,これが「発達」なのだという考えに絡み取られてしまって,その弊害に気づくことは難しい。本来子どもは能動性のかたまりであるはずなのに,学校に入った途端にそれが否定され,教師の意図に合わせることが評価されるという正の強化を受けながら長い期間を過ごしていくのである。まずは,そこを考え直す必要がある。

気づき

 システム思考的に考えれば,根源的能動性は主体性や自主性のさらに深層に横たわるメンタルモデルの1つである。
 学校現場では,よく「生徒の主体性や自主性に任せる」という言葉がまかり通るが,無自覚のうちに「根源的能動性が失われた状態の子どもたち」にそれは不可能なのだと納得。「内なる声」・「willのうごめき」に耳を傾け,根源的能動性に気づくことを最初の一歩とし,意図して開発することがWSDには求められている。

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