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人類にとって主語は新しい概念。虫の視点と神の視点。その間にあるスペイン語

今回は「主語の誕生」は人類の歴史でまだ300年ほど、という話を手短に述べます。

人類にとって主語は新しい概念

金谷武洋著「日本語と西洋語 主語の由来を探る」(講談社 学術文庫)にて、「日本語と押印語の主語の違い」が述べてあります。


「なぜ日本語話者にとって人称変化が難しいか」ということが、存分に語られています。

「主語の誕生」は人類の歴史でまだ300年しか経っていない

という、英語の特殊な歴史と展開について述べられています。

つまり言語展開として、
英語は第3期として位置づけられます。

第2.5期としてフランス語ドイツ語
第2期としてイタリア語ポルトガル語スペイン語が挙げられます。

第1期が日本語、韓国語など。
膠着語いわゆる主語がなくても成り立つ言語。



本書は「主語は特殊であること」を歴史的に立証します。ぼくはそのことに安堵感を得ました。S主体の物語にぼくはだいぶ食傷気味だったから。

「全てをSVO化しなくてもいい語り方があるんだ」と。



300年間のノルマンコンクエストの中で、主語が誕生する

フランス人によるイギリス侵略「ノルマンコンクエスト(1066年)」。それによって、イギリス人は300年間の支配を受け、屈辱的で隷属的な時代を過ごします。その中で自分の言葉を変容させていきます。

イギリスが独立を勝ち取り、言語的自己を確立する頃。

「主語(subject)」は、英語の中にすでに確立されていました。それは、フランス語においてまだ、それほど展開されていなかった「主語を特化させた言語形態」でした。

そして、蒸気機関車の誕生。
産業革命。
大英帝国。

現在まで延長される「SVO言語」による世界文明の席巻

つまり、それまで場所を表すロケイティブなものとして機能し、けっして絶対的ではなかった「subject(sub-「下部に」ject「投げる」、従属させるの意味 )」を絶対的行為者として固定する。

そして、人称(subject)を起点にして、形容詞や動詞の人称変化を極限までなくしてしまう、という試みでした。

私は誰か→私第1人称
あなた→第2人称
さらに、第三人称という究極的な「神の視点」を加える。



英語の「主語を特定できる」喜び

日本語で頻繁に発生する現象は「主語がない」こと。

また、たとえ文中に主語があってたとしても、主語と話者の分離がなくても成立する。主語と話者は渾然一体となっている。それが、幼い頃からぼくはつらかった。

対して英語は、第一に「主語が特定」されている。

これは、ぼくにとって主語を特定できる喜び、となりました。



スペイン語の場合「英語と適切な距離を取ることができている感覚」がある


たしかにスペイン語は、主語がなくても話せます。動詞の変化に人称が組み込まれているからです。

主語を言う場合は「強調」したいとき。主語を言っても言わなくてもいいのです。

ぼくがアルゼンチンで生活していた時は、その気持ちよさのおかげで、英語から距離を取ることができました。

そこには
・英語と適切な距離を取ることができている感覚
・英語を俯瞰できている感覚

がありました。

精神衛生上、そのスペイン語の在り方は、僕を安心させました。


「時制概念」がない日本語。小さな虫の視点

日本語は、小さな虫の視点で歩いてやっと現れる草や川や倒木を一つひとつ踏み越えていく言語です。

最後まで、行為者が誰なのか、話者が誰なのかさえ分かりません。過去のことなのかも。そもそも、日本語には過去形、未来形という「時制概念」などないのです。


対して英語は、始まりから「神」の視点で、誰が、何に対して、何をしたのか、が俯瞰されます。


日本語の水平視点と、英語の垂直視点を往復し続けること。

その中間にはスペイン語があります。


僕は、スペイン語を身に着けることで、言語的バランスをとることに成功したのだと、この本を読んで思いました。






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