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考え方や捉え方が違うことに対して、どう考え行動した方がいいか。最近のSNSを見ていて感じたこと

最近SNS、特にTwitterを見ていると、色んな意見を目にします。そもそもTwittterはすごい情報量がすごいスピードで行き交っているので、それが面白くて私も色んな方をフォローさせていただいたり、自身でも発信したりしています。

ただ、最近そのTwittterの中でもセラピスト界隈が少し騒がしい気がします。2019年から本格的にTwittterをやっていますが、今年に入ってからは特に騒がしい印象です。

騒がしい、という表現にしましたが、もう少し踏み込むと、フォローしているかどうかは関係なく、投稿の内容に対して突っ込んでいたりしている方が増えた、という感じでしょうか。

投稿内容が間違っている内容のものなら、指摘を受けて然るべきだし、私もTwittterやFacebookで何度か間違った内容を投稿して指摘を受けたことがあります。

そういうのは、「間違えていますよ。こういうことだと思いますよ。修正した方がいいですよ」というように、その人のため、その情報を読む人のため、という視点で、割と優しく、一種の愛情といえばいいのでしょうか。温かい感じの指摘を私は受けていたんです。

でも、さっき書いた『騒がしい』という表現はそれとは違います。

「その考えはおかしい」
「その捉え方は違う」
「そんな考えの人がいるなんておかしい」
「間違ったこと書いて恥ずかしくないの?」

みたいな印象を受けています。

私のことも書いたように、明らかに間違った内容を投稿することがあります。人間なので。

思想が違うこともあります。人間ですから。

東洋医学のような『中庸』、いわゆる真ん中のポジションを取るのははなかなか難しいですよね。

なので、色んな意見を交わすのはいいと思うし、明らかに間違っていることは指摘するのもいいと思う。

今のこの私の中のモヤモヤを表現するのが難しいのですが、自分や自分と仲がいい人たちの意見以外は全てシャットアウトしようと、突っ撥ねようとする人が多いのかな、今のTwittter界のセラピストの人たちは。

そんな印象を持っています。

セラピストだけじゃないかもしれませんが、相手の心身をどうにかよくするために、『正しいこと』をしよう。そのために色んなことを追求、追究しようとする人たちが多い世界なのかもしれません。

それ自体は正しいことなんだけど、人間の身体、心なんてまだまだ分かっていないことがたくさんあります。
『何を以て正しいとするか』
そこが難しいところでもあるし、だからこそ色んな意見や考えが飛び交っていいと私は考えています。

でも、自分以外は、自分と同じ意見を言う人以外は、全力で否定する。来るなとシャットアウトする。そんな人がTwittter界のセラピスト界隈では増えたのかもしれない。もしくはそういう意見の仕方をする人たちが目立つようになってきて、大勢を占めるようになってきているのか。

私はそういう人たちの1つの考え、としては尊重します。

でも、「考え方が(自分の思う正しいとは)違う」「(自分とは)捉え方が違う」「(自分と違う考えの人は)来るな」「(自分と違う考えの人間は)シャットアウトする」というその対応、態度は違うと思う。

色んな意見があっていいと私は思う。特にSNSだし。

相手への敬意だったり、一種の愛情みたいなものを失ってまでやり取りして楽しいのかな、と思うし、そこを勘違いだったり忘れてはいけないと私も先日の失敗から気を付けるようにしています。

ポリシーも大事だけど、何でもかんでも自分の意見と違うものを排除、突っ撥ねるのが、果たしていいのかどうか。

そこは考えていくべきことかな、と思ったりしている今日この頃です。

20分も掛かってしまった・・・まだまだまとめる力が足りない。精進します。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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