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[読書感想文] 恐怖の構造

恐怖とは何かを理解することで、より「恐怖」を楽しもう!

ホラーが嫌いなのに角川ホラー文庫が好きという不思議な自分の謎を解く一助になるかと思って読んでみた。
結果的に、ちょっとだけわかったかもしれない。

結局、今現在の自分が安心であることを実感するために、ひどいことにあっている小説の中の人達を見たいという、野次馬根性、悲惨なニュースを見て「かわいそうねぇ」と言っている人たちと似た心理な気がした。うーん、嫌だな。

でも、どちらかというと、著者の平山さんのヤバさのほうが怖い本。

いろんな人に不幸が訪れる日本人形を、「俺が人形をゴリゴリにすり潰して、応募してきた全員分のパケ袋に入れてやる」とか、妹のリカちゃん人形の顔を燃やしたりとか。

単に人形を燃やすのではなく、顔面を燃やして妹の布団にうつぶせの状態で置いておくのがヤバい。そのヤバさを自分で理解しているのが更にヤバい感じがする。理解しているのでサイコパスではないかもしれないが…

そしてこの本は「恐怖の構造」を理解すればもう怖くなくなる!という話ではなく、恐怖とは何かを理解することで「恐怖」を楽しめるという、なかなかぶっ飛んだスタンス。ええやん。

「自分たちにそっくりでありながら、自分たちとは異なる存在」に遭遇したとき、僕たちは自らのアイデンティティーに危機を感じ、恐怖をおぼえるのかもしれません。」

人形じゃなくても人間相手でも同じような怖さを感じる。というか、人間相手の方が別の怖さがあると思う。自分含め、大多数の人間の通常モードと明らかに違う、常にブツブツ独り言を言っている人など様子がおかしい人、あとは悲しいことだが認知症の老人と会話が成り立たないとかそういうのも似た怖さなんじゃないだろうか。

今後AIが進化していき、人間の言いそうなことを繰り出してくるにつれ、そういう怖さも湧いてくるのだと思う。

ただ、帯にでかでかと「日本人形はなぜ怖い?」とありながら、そこの説明はあまりなく、むしろその説明の直後に平山さんが呪いの人形をゴリゴリにすり潰そうとした話をするので色々とぶっ飛ぶ。

文化的恐怖と身体的恐怖

文化的恐怖は国によって異なる。悪魔は日本人にとってファンタジーだが、キリスト教圏ではリアルな恐怖。
アメリカでは幽霊はそんなに恐れられていない。それは、本土の下に死体が埋まってないから。墓とはまた別の話であり、自分たちやその祖先がその土地に住むために誰かを殺した死体の話。
ヨーロッパ人はアメリカ大陸を侵略したり、周りの国と戦争しまくっていたが、アメリカ自体は侵略戦争はあまりしてない、か… 確かに。

そんなアメリカ作品で唯一使われがちなネイティブアメリカンがホラーに出てくるのは侵略の罪悪感と土着宗教への恐怖。

逆に日本は戦争や戦国時代を経てきて死体だらけだから幽霊が身近だから。
日本が侵略の罪悪感からの幽霊がないのは、侵略先の土地に住んでいないから。アメリカは殺した相手の上に住んでる。でも日本の戦国時代は殺し殺された土地の上に住んでるから罪悪感まみれな気もするけどなぁ。

また、中国では共産党が幽霊を認めていないのでそういう映画が出てこないらしい。でもキョンシーはありらしい。国が幽霊を認めないって、すごいな。それはある意味認めてると同意なのでは?

恐怖と不安

恐怖と不安を比べると、恐怖の方がヤバいように思えるが、実は不安の方がヤバい。

恐怖は理由がはっきりとしているが、不安ははっきりしていない。モヤモヤする。そしてそのモヤモヤは終わりがない。

体調が悪いから病院に行って、病気が見つかったとしたら恐怖は訪れるが、同時に理由がわかって安心もする。が、病気が見つからなかった場合、ずっと不安が残る。これは消えない。

実際、自分の花粉症は何の花粉なのか検査してもわからないとか、片頭痛の原因がわからないとか、実際の不安はやたらとあるのでそっちはもう十分間に合っている。
それもあって、全く問題のない「不安」を自分は求めているのかも。
自分がジャパニーズホラーの雰囲気が好きなのはそれなのかもしれない。洋風ホラー映画の恐怖って、結局サプライズばかりで、それはなんか違うわけで。じわじわと来る、あの薄ら寒さが、現実を侵食するような怖さを味わいたい、と。でも全く問題ないんだと安心したいのかもしれない。

若者がホラーを好む理由

若者は未来が長すぎて、死、病気、退職、金などの目の前にある恐怖を持つ大人よりも不安の方が多い。そのために未知や無知に備えたい。その対策の一つが「ホラー」。そこから色々なことを学習していく。

また小学生くらいの子供がお化けや怪談、ホラーが好きになるのは、良心という絶対的な強者よりも上の存在がいるということを知り始めたタイミングのため。上の存在がいるというその怖さに慣れていくためにも怪談などで理解度を深めていく。

確かに、子どもの頃は家からほとんど出なかったり、出ても親は常にそばにいるし、親に任せておけば全て安心というのがあり、学校に行って先生に怒られたりし始めたり、親が頭が上がらない相手と出会っていったりする。
そのときには自分の知っていた「絶対」が壊れていくショックを受けてしまう。
そんなショックに慣れるためにも、自分たちがどうしようもないお化けなどの存在を知っていこうとするという、一種の防衛機構なのかも知れないなぁ。

ホラーを描くときには、ホラーのジャンルを定めるのが大事

ホラー・スリラーなのか、サスペンスなのかアクションなのか。

純粋なホラーは主人公が生き残るかどうか。スリラーは主人公が問題解明手段を持たない。アクションは倒す目標がある、とそれぞれ構造が異なる。

そういう意味ではゴッドファーザー、タクシードライバーもホラー。

ホラー小説はタイトルも大事

内容をそのまま表すタイトルはアレ。

「内容が一瞬ではわからないけど、読み終えたあとには「この題名しかない」と思わせるようなものじゃないとダメなんです。」

p142

「黒い家」とかたしかに。タイトルとしては普通だけど全く意味がわからず、読んでる間、読み終えたあとにヒエッとなるやつ。


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