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予定調和に陥らない定番、自己満足に終わらない即興の実現方法

毎年恒例になりつつある、カレーざんまい2019@四谷アウトブレイクに出演させていただきました。

セットリストは新曲のクワガタ、定番のくだものがかり。みんなの保育園に園という縁のユーチューブ上映を挟んで、地球ライダーズ、最後にもう一度クワガタ。

cubasisを流してカラオケスタイルでやってみる、という新たなチャレンジがうまくいっていたのか、どうなのか。

というのが、このnoteのテーマです。

今回、結構、常連の皆さんのステージを見ると、定番にかなり忠実に毎回やっておられるとに気づいたのが一番の発見だった。

これ全部アドリブ!?と、衝撃を受けた3年前。毎年のことなので、少しずつ目が慣れてくる。そこでわかったのは、定番が身体に染み込んでいるからこそ、アドリブが活きる、ということ。しかも、アドリブに見えているものも、実は、将棋で言うと定跡というか、手筋のような引き出しがあって、即座にパターンマッチしているに過ぎない。過ぎないって言っても、批判とか悪く言っているのではなくて、通とか玄人という人は、その手筋を知り尽くした上での、真の即興性や創造性の妙味を味わう人たちなのであろう。

たとえばよしもとの養成所で教えているのって、そういう部品なのかもしれない。映画ベストキッドで、師匠が青年にとにかく同じ動きを教え込んでいたシーンも連想する。

アマチュアバンドのステージにおいては、個別の演奏の楽曲的な完成度の高さもさることながら、MC含めた立ち居振る舞い、曲のチョイスと組み立てなど、人に見せる、人を魅せる総合力が重要だ。それがあるかどうかによって、高校生の文化祭的な自己満足パフォーマンスか、大人が休日にわざわざお金と時間を投じるに足る余興として成立するかが決まる。

それは、演奏が上手かどうか、だけではない。

一言でいうと、それは観客を楽しませようとしているか、ということになる。

そう言ってしまうと当たり前すぎるが、大事なのは、それを正しく要素分解することだ。大前提として、見るに足りるユニークさ、これがないと始まらない。どこかでみたことのあるものは、わざわざ見たいとは思わない。そのうえで、一見矛盾するようだが、ある種の既視感も必要だ。全く新しいものは、どう見たらいいかわからない。音楽は、一緒に歌ってグルーヴしないと、楽しくない。

良く知っている曲のカヴァーだけど、アレンジが独創的、というのでもいい。オリジナル曲だけど、演奏技術と曲調がバッチリ決まっていて、初見でもガンガンヘッドバンギングできちゃう、というのもあるだろう。

ユニークな価値がコアにあり、その場限りの他者とそれを共有するためのチャネルが架橋されている。それを、演奏技術が支えている。そんな構造が必要だ。

MC含めた全体構成力は、この構造に支えられたエネルギーを爆発、拡散させるための動力源に当たる。これが観客の心に響き、共鳴したとき、ある種の感動を生み、心に残るステージとなる。もともと有名な演者で、それを期待している観客、というような舞台装置があれば、そのエネルギーは倍増する。

と、こんな感じのフレームを仕立てて自分たちのステージを振り返ってみると、カラオケ主体のステージは、演奏的な安定感をもたらしてくれると事前に期待をしていたわけだけど、ちょっとそこの見込みがズレていたかなぁというのが、正直な感想だ。演者として、楽器としてのcubasisを使いこなすという視点が必要になるのだろう。そうするとやっぱり、サンプラーが必要になるのかなぁとか。

一方で、「クワガタ」「カッコイイ」のコンセプトの普遍性は、力強い手ごたえを感じた。初見だろうがなんだろうが、通じる力がある。地球ライダーズの変な振り付けが伝染してたのも面白かった。つまり、コアにある価値については期待以上にあったことは確認できた。ただ、それを架橋する技術には、かなり課題があったな、、、と。

そういうことも含めて、やっぱり、やってみないとわからない、やってみたおかげで見えてくるものがあるなあ、というのが今回の総括だといえば、総括になるのかもしれない。新しいことへのチャレンジは、それ単体で評価するべきではなくて、そこから何を発見するかが大事なのだよなぁと、改めて思ったりする。

(ようへい)


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