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「場所」へ

幹線道路を走り抜けるクルマ その走行音。僕はこれに安らぐんだ。小川のせせらぎのように。
街の雨は、雨を含んで濃厚になった路傍の埃の匂い。

僕は街で生まれて、街で育った街の子だ。

空間と場所

「へー、空間と場所って違うもんなのか」そう思ったのは有斐閣から出版されている「社会学」って本に出会ったときだったと思う。五十の手習いで大学院生になった頃だ。町村敬志さんが執筆された第7章「空間と場所」が出会いだった。

「空間」は、一言で言えば僕をとりまく「環境」のこと。
「場所」は、「空間」に対しての私的な「思い入れ」みたいなもの。

例えていうなら、引越したてのマンションの一室は「空間」だが、住み暮らしていくうちに、この「空間」が僕にとっての「場所」になっていく。地理学や社会学の人たちにはそんなふうにとらえる人がいる。だから、僕がたまたま観光で訪れた姫路城と、代々、姫路に暮らしてきたおじいちゃんにとっての姫路城では「場所」としては全く異なるものになる。復員してきて、わが家は丸焼けだったのに、無傷に近かったお城を仰ぎ見て「これで姫路も大丈夫」と思ったのだそうだ。確かに、そういうおじいちゃんの話を聞いたことがある。

閉店を余儀なくされた喫茶店。近頃はリノベ物件として蘇るなどという事例が散見できるようになってきた。でもね。閉店前を知る人がサウダージな期待を持ってその店を訪れると、たいていは火傷する。新しいマスターとお客さんたちが、自分たちの居心地を大切にしはじめていて、そこには、もう彼らの「場所」がある。「空間」は同じでも「場所」としては全く異なるものに変化してしまっているというわけ。だからね。懐かしさを期待していくと違和感が勝る(でもね、それでいい。そういうことのひとつひとつがレイヤーのように重ねられて。街の時間は重厚になる。かつての常連は新しい誕生を祝えばいいんだね)。

「場所」は見えない。可視できるものは「空間」。

使い古された二本の歯ブラシがささるプラスチック製のコップ自体は「空間」の一部。そこから彼女と過ごした「時間」を思い出し、うるっときたとすれば、そのとき思い出した「彼女と過ごした時間」は「場所」に連なるもの。つまりね。「場所」は、その「空間」で過ごした時間が綴織になった織物のようなもの。その織物が発生させる追憶なんだ。
                    
(そこで過ごした時間が一瞬だったとしても、その時間のインパクトが強烈なら、その「空間」が、瞬く間に「場所」化することもある。別れた彼女が最後に「じゃぁね」といった駅の改札が、一瞬にして、その人にとっての「場所」になるっていうことも。あまりうれしいことじゃないけれど…) 

「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんは、あちこちの「空間」を瞬時に自分の「場所」にしてしまう名人だ。「孤独のグルメ」は、そういう五郎さんに特筆的な名人芸の話し。でもね。たいていの場合、僕らには、五郎さんのような才能や力量のもちあわせはない。あんなに語れないし、瞬時にお店に惚れ込む力量もない。

そこに威圧的な都市空間が襲いかかる。ソリッドなビル群に周囲を囲まれ、足下には化粧タイル。土の薫りもない。システマチックに工場生産された部材を組み立てるだけの再開発な空間はカオナシ。大工さんの仕事の痕跡を見出すことはできない。「場所」化するには情報が少なすぎるんだ。見上げれば、井の中の蛙ほどの「空」しか与えられていない。だから、都市は孤独の増幅装置だ。六五歳以上男性の8人にひとり、六五歳以上女性の5人にひとりが一人暮らし。男性の生涯未婚率は24%強、女性は約15%という時代なのに、ますます都市という「空間」は冷たい。

さて、凡なる僕らは「場所」をどうしよう。

僕らは「場所」に無頓着だった。「場所」という考え方を知らずにきたともいえる。だからこそ「空間」は、僕らの存在を無視して無遠慮に広がった。横になれないだけでなく、長時間は座っていることもできないベンチ。生命感のない植栽。設置するなら大切にしろよと言いたくなるような、くたびれたパブリック・アート作品たち。そして場所になることを拒絶したようなハンバーガー・ショップや牛丼屋。つまり、ステレオタイプな店の羅列。そんな店では注文以外に人と口を聞くこともない。僕らは、その店の売り上げのために捌かれる荷物のようなもの。今、注文を取ってくれたスタッフさんが、あしたもいるとは限らないんだから、無論、カウンターの中と常連客が与太話しに花を咲かせる風情もない。

映画「イン・ザ・ハイツ」(2021年/ジョン・M・チュウ監督/アメリカ)は、ジェントリフィケーションの嵐吹き荒れるニューヨークにあって、唯一ともいっていいくらう「昔ながら」の薫りを残すヒスパニックなダウン「ワシントン・ハイツ」を讃歌し唄い踊るミュージカルだ。楽しい。小気味いい。

「ジェントリフィケーション」とは、まず、住宅・商店・工場などが混在する労働者の街を「空間」から高級化し(つまり再開発をかけ)家賃を上げ、家族経営の小さな店舗や労働者を追い出しながら、勃興する産業の担い手であるミドル(中間層)を呼び込んで、街を浄化し、犯罪を抑止しし、富裕な感じに演出していこうとするイケすかない行政施策のこと。または、そうした施策が生み出した街の変化をさす言葉だ。
日本でも、敗戦直後の「闇市」から続く、小さなお店や飲み屋さんが集まる街がタワマンになったり、女性に哀しい思いをさせる飲食店が集まる界隈をアートでジェントリフィケーションという、そんな感じがわかりやすい事例になる。でも、どこの国でもジェントリフィケーションの評判は悪い。悪いから「イン・ザ・ハイツ」みたいな映画がヒットする。

「ジェントリフィケーション」は、もともとはイギリス発祥の政策。その政策がアメリカに渡って、ビジネスとの癒着を鮮明にし、この国にきて、さらに「お上による治安維持」色が重ね塗りされ、その色彩が強いことが特徴になった。だから「空間」には自警団みたいな管理者がいて、店子でさえ、徹底して規則で縛る。

再開発なショッピングモール

あるとき、若い営業の担当者が三顧の礼で、味自慢の老舗ラーメン店をショッピングモールに出店させた。でも管理の担当者は、店主が納得する仕込みの時間を認めず、スープのゲンコツを煮込むときの臭いをなんとかしろと注文をつけた。ラーメン店は行列店になったにも関わらず、そのことも迷惑がられて数ヶ月で退店した。でも管理者は、規則に従わなかったから仕方がないねと、表情を変えなかった。そんなもんだ。

そこに住み暮らすのではなく、おまんまのために通ってくる人が「匿名」に裏打ちされて冷徹に管理する「空間」は、どこまでも冷たい。
近頃の都市空間は、彼らにとって、無駄なく、面倒がかからないようにきちんと管理される。管理者は人それぞれの生活文化などは無視。規則通りに寝て、働いて、通り過ぎろと(座るなら短時間にしろと)。そういう感じ。
タワマンなら、おばあちゃんが夜店で買ってきた釣り忍をベランダに吊るすこともできない。何事も「空間」の保全が優先。管理者のための無事故が優先。でも、法律で設立が義務付けられているのは、さらに建物の管理をする管理組合。仮に自治会があっても、絵画クラブなどと同列の一サークルに過ぎない。つまり「空間」が「場所」化することを拒んでいるのだが、いまのところ、まんまとやられてきている。マンションにご近所なコミュニティが育まれないのも、街かどに「にぎわい」が生まれないのも自明の理。このままでは、心まで「空間」に侵食されてしまう日も近いだろう。

でも、ね。僕は些細なことで「空間」脱出することは「できる」とも思っている。

まず便利でかっこいい「空間」を後にして不便でごちゃごちゃした空間に通う。旧くからの商店街には、急に「西ドイツ輸入薬」なんて看板が出ていたり(若い子は『西ドイツ』わかるかな?)。ごちゃごちゃ。そして等身大、そこで自分のための場所づくりを。自分に復権してやるんだ。

こんなことを思い浮かべただけで、そこに「場所」を見つけ出す切っ掛けをもらえたことになる。景観じゃない、等身大の体感を大切にする。そして、美味そうに深呼吸する。また、出会いを待つ。こんなことを繰り返していると、いつの間にか「空間」を脱出してしまっている。「あれ?」こんなに空(そら)って、こんなに広かったっけって。

「場所」を取り戻すことは「私」を取り戻すことでもある。「みんなでいっしょ」を卒業することでもある。

これだけで、ずいぶん軽くなれる。

さぁ「空間」を捨てて「場所」探しの旅へ。旅っていってもご近所散歩で充分なんだから。自分を解放してやろうよ。

あなたにとって、幹線道路を走り抜けるクルマの走行音は。
あなたにとって、街の雨は。