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友達が 1人もいない note愛 ~誰でも文章が書けるようになる考え方~

 私には友達が1人もいない。そんな終焉的交友関係に唾の呑みこみ方を忘れたときぐらい焦っていたのも随分昔のことでnoteをやるようになってからは悪知恵の働く女が郷土の訛りに可憐的利用価値を見出すように毎日投稿の題材の一つとして利用させてもらっている。

 そんな私の毎日投稿であるがあと少しで目標としていた100日連続を迎えそうだ。noteでの毎日投稿を始めてからあれだけ紛争地の傭兵よりも安息を求めるほどにだらけていた私の、向上心などを含めた棺桶に入っていた健全な生活を送る上で必要な感情たちがゾンビのように蘇ったことで仕事を終えて万年床の上で焼き茄子の如く枝垂れていた私のリビングデッド連載が幕を開けることになった。

 そんなわけでnoteは私に毎日のやりがいを与えてくれた。もしもnoteに出会わなければ私は努力、友情、勝利とかけ離れている逆少年ジャンプ状態にも関わらずダラダラと生きれていたため集英社に消されていたことだろう。もしそうであったらnoteは私の命の恩人でもあるためなにかnoteに恩返しをしたいと私は思い至った。ではいったいなにをすればnoteは喜んでくれるのだろうか?

 なにかプレゼントを贈ろうにも運営に携わっている人たちのことはなにも知らないし、仮に贈れたとしても私のような知恵と叡智の会得や研鑽を目的としたnote界隈でなんの学びにもならない記事を乱発する糞尿をまき散らす野牛のような迷惑係noterである私のプレゼントを喜んでくれるとはとても思えない。そこである画期的なことを閃いた。noteの利用者を増やせばいいのだ。手順はこうだ。

 ①私がnoteの書き方を指南する②noteを閲覧したことはあっても書いたことがない人たちが書いてみたくなる③新たなとんでもない才能を実は秘めていたnoterが彗星の如く現れ才能を遺憾なく発揮する④noteの垣根を超えた文筆家となり一躍スターダムにのし上がり同時にその人物を輩出したnoteの認知度があがる⑤師匠は立花まさる。完璧である。

 なぜか⑤の部分に一部の読者のマンモスにトドメを刺した氷河期を彷彿とされるような冷たい視線を感じるがこれがビジネスである。では肝心の指南すべきポイントに関してだが正直言おう。そんなものはない。・・・頼むから最後まで読んで欲しい。決して街で私を見かけても担ぎ上げて首から危ない角度で落とさないでもらいたい。

 さてnoteでの執筆に興味があっても書こうとは思ってない人たちがたくさんいる。かつて私もそうだった。現実世界での私は他の人たちがが自分のことを悪く言ってるんじゃないかと必要以上に周りの音に過敏になった結果聴力が発達するという人類の進化のヒントになりそうな体のメカニズムを手に入れたのだがnoteでも似たようなことだった。他の人たちの美しくてインテリジェンスな文章を見ていたらとても自分じゃ書けないと思っていたからだ。

 学歴もなく、専門知識もなく、年長者の長きに渡る人生の副次的な色気ある価値観もなにも持ち合わせていない20代半ばの独身男の、見る人を眠りの世界に誘うような面白みのない人間である私が書ける記事なんてなにもないと思っていたため書けなかったにも関わらず今はこうやって毎日投稿を続けている。なんだっていいからだ。

 書くことは本当になんでもいいし自由だ。その証拠に私がこれまでに書いた記事を暇があれば読んで欲しい。よくこの程度の内容を記事にしたなというバームクーヘンぐらい太い私の肝と、ときおり見受けられる前に書いた記事の内容と逆のことを平然と書いている過去の発言を自在に消し去ることができる私のイリュージョニストぶりが見て取れるだろう。ようするにnoteだけじゃなくなんだってそうだと思うけれど難しく考えてはダメだ。

 だからnoteに興味はあるけれど書くことは敷居が高いと思っているならば私のことを思い出して欲しい。私が書けるのだから誰だって書ける。noteの世界とはそれほどに自由だから。

 

 


 

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