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友達が 1人もいない 死闘風呂 ~私がこの世で最も嫌いなもの~

 私には友達が1人もいない。道路には街頭すらなく夜は暗く寂しいという自然界の理を黙って受け入れた超がつくほどの田舎で生まれ育ったため、なら自然が友達かと言われるとそんなことはない。むしろ私という「妬み」と「嫉み」のセットアップを着こむような人間を形作した諸悪の根源とも呼べる郷土への愛着はちりめんじゃこ七尾分ぐらいしか持ち合わせていない。そして私が最も嫌っていた田舎ならではの怪異とも呼べる存在がカエルであった。

 虫、コウモリ、モグラといった都会での活躍の機会を奪われた都落ちした動物たちがひしめく田舎において最も幅を利かせている生物がカエルだ。そして私が嫌いなものをランキングで人間を除外したときに堂々の1位に君臨するのもカエルだ。ちなみに2位はミミズで3位はナメクジである。どうやら私が小さくでヌメヌメしたものが嫌いらしい。ちなみにオクラは8位である。

 私はカエルの持つ色彩、フォルム、鳴き声を含む全てのカテゴリーが本能的に震え上がるほどに苦手であり、ここで読者の皆さんにカエルがいかにおぞましい生物であるかを克明に伝える文才を私が持ち合わせていないことが悔しいくらいだ。そんな中で最も苦手なのがあの大きく見開いた目だ。まるでこちらを粒子の一粒まで見逃さんとする目力で睨まれたら、私は電光的な速さで逃げ出すことだろう。ただ実家で暮らしていたころカエルに出くわしても逃げ出すことのできない状況が存在した。風呂だ。

 実家の風呂場には換気口や窓を通って度々カエルが侵入し壁をはい回っていた。風呂場に入った際にそれを見たときは本来ならば住民票を移すほどに遠くまで逃げ出したいのだがリビングにいる家族のことを考え、長男としての威厳とホモサピエンスとしてのプライドで逃げることを諦め立ち向かうことを決心し闘いを挑んできた。

 闘うといってもカエルに触れることは決してない。使うのはシャワーと熱湯消毒の効力への信頼だ。まずシャワーでカエルを湯舟へと追い込む。湯舟に使ったカエルはのぼせて月の裏側ぐらい気持ちの悪い腹を突き出してプカプカと浮かび上がってくる。それを手桶で掬い取り窓から庭へと放り出すのだった。

 この一連の行為がカエルが可哀そうだとかいう両生類側の肩を持つ意見を私は受け入れるつもりはない。野球を知らない人間が人気のセ、実力のパという言葉を聞いても世界史のソ連界隈の話だと思ってしまうようにカエルの怖さを知らない人間に私がいかにカエルを恐れているかをいくら説明しても理解してもらえないだろう。こればっかりは過激な白樺派ぐらい個人主義でかまわないと思っている。それほどまでに私はカエルが嫌いなのだ。

 ただこの撃退策にもリスクがある。手桶で救い上げたカエルはお湯ごと窓から放り出すのだが、窓を開けるとあろうことかそこにまた別のカエルがこのときを待っていたとばかりに待ち構えおり、お湯を外に放出したと同時に私に飛び掛かって来ることがある。

 精神的なコンディションのよい日ならば濁音交じりの悲鳴を上げるだけに留まるのだけれど、悪い日ならば私はその場で膝頭が力尽き悲鳴を上げながら後ろに倒れ込む。一度頭を強打し四肢を広げ仰向けに二足歩行ならざる姿で倒れ込んだときにあろうことか妹がかけつけてしまったことがある。生まれたままの姿で倒れ込み体上をたった一匹のカエルに蹂躙される私を見た日を境に妹の私を見る目は死肉をついばむハゲタカぐらい細くなっていった。それが後に起こる妹が私を一族の恥辱認定したラインの文面へと繋がっていくのだがそれはまた別のお話・・・


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