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夏祭りの夜に

 悠平 ①

「何時集合だっけ?」となりを歩く孝介が訊ねてきた。

「十九時だよ。遅れんなよ。頼むぞ」

「任せろ。俺は時間だけは守る男なんだ」

「本当かよ」

「それより、遥香ちゃん、浴衣着てくるかな?」

「どっちでもいいよ、別に」

「でも、どちらかと言えば?」

「そりゃ着てきてほしいよ」

「なんだよ、この野郎。最初から正直に言えよ」

 孝介が抱きついてきた。「やめろよ」と振り払おうとしてもなかなか離れようとしない。「祭りだ、祭りだ」とはしゃいでいる。

 額から流れた汗が目に入り思わず目を閉じた。

「遥香ちゃん今日、自習しに学校行くって言ってたから、浴衣着て来てって頼んどけよ」

「いいよ、別にそんなの」僕は目を閉じたまま言った。

「だったらなんのために俺たちはこのくそ暑いなか自習しに行くんだよ」

「勉強するためだよ」

「なら遥香ちゃん自習しに学校行くって言わなかったら行ってたか?」

「行ってないな」

「だろ? 夜どうせ会うけど、昼も会えるなら会いたいだろ? 喋りたいだろ? もう教室で好きって言っちゃえよ。夏祭りを恋人同士として見に行けよ。一つのかき氷を二人で食べろ。もし、フラれたら俺が一緒に食べてやるから」

「なにが悲しくて野郎二人でかき氷をシェアしなきゃいけないんだよ」

「違うよ。俺が遥香ちゃんと食べるんだよ」

「もしそうなったら泣きながらお前をグーで殴るからな」

「そうならないように願ってるよ。俺も殴られたくないから」

 孝介がやっと離れた。日差しにまとわりつくようにセミが鳴いている。流れ出る汗を首に巻いたタオルでぬぐった。

「ちゃんと告白しろよ」

 孝介が思いっきり肩を叩いてきた。

「わかってるよ。それよりも頼むぞ」

「任せろ。お前がかき氷食べたいなって言ったら、買いにいくふりしてどっか行けばいいんだろ?」

「うん。申し訳ないけど、そうしてくれ」

「花火終わったころに戻ってくるよ。道に迷ったとか言って」

「悪いな」

「そう思うなら、きっちり告白しろよ」

 僕は深く頷いた。


 塚田①


  サイダーからあふれた泡のような雲が浮かんでいるのを塚田は教室の窓から眺めていた。

「先生、なに見てるんですか?」

 寝ぼけたタヌキみたいな顔をした女子生徒、村川が訊ねてくる。

「空と雲」

「なんかそんな名前の小説ありませんでしたっけ?」

「罪と罰じゃね?」襟足を伸ばしている男子生徒、朝山が言う。

「戦争と平和もありえるよ」

眼鏡をかけた男子生徒、越田が朝山の方へ振り返る。

「どっちも知らない」村川が笑う。

「なんだよそれ」朝山と越田も笑った。

「お前ら、まじめに自習しろよ。わざわざ学校来てるんだから」

「してますよ。ねえ?」村川が男子二人に同意を求める。

「この夏一番の本気だしてますよ。今日の俺は」

「朝山。ならその真っ白なノートは、なんだ?」

「やっと気づいてくれましたね。わからないから訊こうと思っていたんです」

「なら、さっさと職員室に来いよ。見回りにくるまで待ってるんじゃねーよ」

「俺、受け身なんですよ」

「知らねえよ」

「まあ、いつも告白される側なんで、別に問題はないんですけどね」

「越田、こいつ殴っていいか?」

「どんな理由があろうとも体罰になるのでやめておいたほうがいいです」

「卒業したら覚えとけよ、この野郎。グーで殴るからな」塚田は拳を握った。

「教師の言うセリフじゃないですよ」朝山が笑う。

「せめてパーにしてあげてください」越田が右手をパーにして言った。

「そこはあえてのチョキでしょ」村川が指を二本、前に突き出して越田の方を向くと、

「私の勝ちー」

「いや、これは違うだろ」

「だったら、ちゃんとじゃんけんしよ、じゃんけんホイ」

 村川が勝った。「イエーイ、祭りのときなんか奢ってもらおっと」

「あんまり高いのは無理だよ」

「えっ、本当に奢ってくれるの?」

「まあ、いいよ。別に」

「やったあ、ありがとう。じゃあ、先生もじゃんけんしよ。私が買ったらなんか奢ってね」

「お前、マジか。マジて言っているのか?」

「いいじゃん、とりあえずやろ。ほら、じゃんけんホイ」

 塚田が勝った。村川はつまらなさそうな顔をして、

「空気読んでよ、先生」

「知るかよ。とにかく調子に乗って遅くまでいるなよ」

「はーい。ねえ、先生は今日のお祭り行くんですか?」

「行くよ。見回りにな」

「大変ですね」

「気遣ってくれるなら、問題を起こさないでくれよ」

「起こしませんよ。私、品行方正なんですから」

「だったら遅刻を減らす努力をしてくれよ」

「そうだよ。十九時の待ち合わせ遅れるなよ」

 朝山の言葉に「うるさいよ」と返す村川を越田が見つめている。

「お前ら、何時まで自習するんだ?」

「もうそろそろ帰りますよ。そこから帰って準備して祭りに行きます」朝山が答えた。

「何度も言うけど、あんまり遅くなりすぎるなよ」

「はーい」三人が声をそろえて返事をした。


悠平②


 約束した時間の五分前に待ち合わせ場所であるS駅前の喫茶店前に到着すると、孝介と遥香はすでにいた。

「遅いよ」と言う遥香に「五分前だよ」とバイト代を貯めて買った腕時計を見ながら僕は言った。

「それより、どう? 浴衣」

 遥香が訊いてきた。孝介がニヤニヤしながらこちらを見てくる。照れていないが、そっけなくなりすぎないように気を付けて、

「いいんじゃない。夏って感じで」

「なにそれ? もっとなにかないの?」

「まあ、それは追々」

「追々っておいおい」孝介が笑う。

 頼りない三日月が夜空に浮かんでいる。小学生らしき男子数人が自転車で背後をはしゃぎながら走り抜けていく。

「飲み物だけでもここで買っていくか?」孝介が喫茶店を指さして言った。

「向こうでよくない? 私ラムネ飲みたい」

「わかった。悠平はどうする?」

「俺もそれでいいよ」

「じゃあ、行きますか」

 孝介が歩き出した。後ろを遥香と並んで歩く。この日のために買ったジーパンのポケットに入れっぱなしにしていた手を出しかけて、また戻す。右の頬がとても熱い。喉が渇いて仕方がなかった。

 首筋の汗が気持ち悪い。臭っていないだろうかと不安になる。僕はジーパンと一緒に購入したデニムのショルダーバックから無香料の汗拭きシートを取り出して首筋をぬぐった。

「着いたらまずなに食べる?」」

 右目の端にわずかに映る遥香が訊いてきた。

「どうしようかな。祭りってなに食っても美味く感じるからなー」

「わかる。焼きそばとかめっちゃおいしいもんね」

「だよな。たこ焼きも捨てがたいけど」

「おいしいよね」

 そこで会話が途切れた。なにか言おうと言葉を探したが見つからないまま、祭り会場へ到着してしまった。


 塚田②


 ごった返す人込みの中、何人かの生徒を見つけた。話しかけてくる者たちもいれば、気づかれていないと思っているのか指をさして笑っている者たちもいた。

 名前がわからない虫の鳴き声と祭囃子聞こえてくる。金魚すくいの屋台で幼い子どもがはしゃいでいる。虹を溶かしたみたいな色の綿菓子を持った大学生らしきカップルとすれ違う。

 夜風が頬を撫でた。タバコが吸いたくて仕方ないが堪える。ビールを売っている屋台が目にはいった。並んでいる客のなかに生徒がいないか探しながら生唾を飲み込む。焼きそばを焼いている音が背中を押してくる。塚田は一歩足を踏み出し、屋台に背を向けて歩きだした。

 帰ったら酒を飲もう。冷蔵庫の中に確か酎ハイがあるはずだ。つまみは家にあるコンビーフにしよう。腕時計に目をやる。花火の時間まであとわずかだ。塚田は会場である広場へ向かった。


 悠平③


 遥香が奢ってやったりんご飴をかじっている。僕はそれを直視することができない。口元がむずがゆくて仕方がない。

 孝介が右側頭部につけた戦隊ヒーローのレッドのお面がこちらを見ている。

「そろそろ花火始まるな」

 目を見て言おうとしたが、すぐにそらしてしまった。

「だね」

 孝介が持ってきてくれたレジャーシートを敷いて三人並んで夜空を見上げる。

 アナウンスが花火の開始を告げ、静寂が流れる。ラムネ色の石鹸みたいな香りがした。遥香の横顔を見る。いつもと髪型が違うことに気が付いた。伝えようかと思ったが言葉が、でてこない。

「どうしたの?」

 目が合った。半開きになった口から空気が漏れる。心臓が高鳴った。さっきまで、暗闇に溶けていたりんご飴が赤く染まった。

 遥香の視線が夜空へ移る。僕も少し遅れて夜空を見上げ、買ってからほとんど飲んでいないラムネを一口飲み、

「かき氷食べたいな」

 孝介がこちらを向き、小さく頷くと、

「買ってきてやろうか?」

「いいのか?」

「まかせろ。遥香ちゃんはどうする?」

「私はいいや。ありがとう」

「わかった。味はなにがいいんだ?」

「レモンで」

「はいよ」

 孝介が立ち上がり、夜店へ歩いて行った。

 花火に照らされる遥香を見つめる。薄いピンクの浴衣が眩しい。ラムネを一口飲む。ゲップが出そうになるのをこらえる。尻が痛くなり座りなおす。レジャーシートが少しずれた。額ににじんだ汗を手でぬぐい、見えないようにジーパンでふいた。手のひらがほんのりと温かくて痛かった。


 塚田③


 会場へ向かっている途中、屋台でかき氷を買ったところの朝山を見つけた。

「あれ、先生」

 塚田は気づかないふりをしていたが、向こうから声をかけられた。

「おう。越田と村川は?」

「あいつらなら仲良く花火みてますよ」

「そうか。青春しているんだな」

「俺だって青春してますよ」

「それもそうだな。お前らは青春真っ只中だ」

「夏だけど心はいつでも青い春ってことですね」

「なに言ってんだお前?」

「夏の暑さのせいですかね」

「かき氷食って頭冷やせ」

「了解です」

 朝山が軽く頭を下げ、笑みを見せた。


 悠平④


 極彩色のホタルが舞っているような花火が夜空を彩っている。レジャーシートの上の遥香の左手へ僕の右手をほんの少しだけ近づけようとしたが、あと数センチのところで、どうしてもそれ以上動かない。心臓の鼓動が早くなる。飲み終わったラムネを飲んでふりをして息を一つ吐く。

「遅いね。迷ってるのかな?」遥香が言った。

「かもな」

「せっかくいい場所で見てるのに。もったいない」

「そのうち帰ってくるよ」

「だね」

 なにか言おうとしたが、頷くことしかできなかった。

透明なマシンガンを乱射しているような音が響き、夜空を色とりどりに染める。夏の終わりを急かすかのように花火が次から次へと夜空へ咲いて消えていく。渇いた喉から声にならない声が漏れた。右手がほんの少しだけ遥香に近づき、すぐに退く。

「あのさ」

 かすれた声は花火にかき消された。僕は遥香の方を向いて、もう一度、

「あのさ」

 目が合った。僕は目をそらしそうになるのを必死でこらえた。

「なに?」

「また、来年も見に行きたいよなって思って」

「うん。行こうよ。来年も三人で」

 そう言って笑顔を見せる遥香を見ると、本当に言いたいことは言えなかったが、もうこれでいいと思ってしまった。

 花火の終了を知らせるアナウンスが流れる。孝介もそろそろ戻ってくる。「この根性なしが」と言われるに違いない。僕はゆっくりとため息をついた。


 塚田④ 終章 

 帰路につく客たちのなかに下を向いてなにかを探している様子の越田と村川を見つけ、

「なにしてんだ?」

「ああ、先生。朝山が財布をどこかに落としたっていうから探しているんですよ」

 越田が額に汗をにじませながら言った。

「そうか。朝山はどこにいるんだ?」

「屋台のほうかもしれないって、そっちを探しています」

「ほんと、なにやってんだか。見つからなかったらどうするんだろう」村川が苦笑する。

「心配しなくても絶対見つかるよ。だからお前らは二人で花火の余韻に浸ってろよ」

 塚田は立ち去った。財布は必ず見つかる。というよりそもそも落としてなどいないのだ。財布を落としたというのは越田と村川を二人にするためについた朝山の嘘なのだから。そして、その嘘をつくように言ったのは塚田自身である。

 あたりを見渡しながら生徒を探す。見つけるたびに、「早く帰れよ」と声をかけていく。皆、「はーい」と素直に返事をするが何人が指示に従うのかはわからない。だが、それも今日くらい許してやりたい。どうかなにも問題が起きませんように、と花火が上がっていた夜空へ祈ってみたが気恥ずかしくなり、一人で小さく笑った。

「孝介」

 名前を呼ばれ振り返ると悠平がいた。となりには遥香もいる。二人の間には浴衣の幼い女の子がいて母親の袖をつかんで隠れるようにこちらを見ていた。

「なんだ、お前らも来てたのか」

「休みが取れたからな」

「久しぶりだね」遥香が言った。あの時とは違い青い浴衣を着ていた

「彩美ちゃんだよな。だいぶ大きくなったな」

「うん。五歳になった」

「やっぱり覚えてないよな。会ったの赤ちゃんのときだから」

「だね。もとから人見知りってのもあるけど」

「まあ、仕方ないよ」

「孝介くんは見回り? 大変だね学校の先生も」

「仕事だからな。でも、ほとんど生徒は帰ったみたいだから、そろそろ終わりだよ」

「でも、お前が教師になるなんてな」悠平が言った。

「確かに。俺が一番驚いている」

「人生なにがあるかわかんないな」

「確かに。あの時も俺が財布落としていなかったら、お前は告白出来ずじまいで遥香ちゃんと結婚していないもんな」

「だな。それは言えてる」

「びっくりしたよ。財布探していたら突然、付き合ってくださいって言われたから」

 遥香の言葉に悠平が、

「顔を見たら言えそうになかったからな」

 遥香の頬が緩んだ。花火の欠片みたいな星屑が広がる夜空から落ちてくる、やわらかい月明かりが、母親の袖を引っ張る眠たそうな彩美の顔を照らしている。

「どうしたの? 眠たいの?」

 彩美が無言で頷く。

「そっか。じゃあ家、帰ろうか」

「じゃあ、先に車行ってろよ。俺もすぐに行くから」悠平が遥香にキーを渡した。

「わかった。先に行ってるね」

 遥香が娘をつれて歩いていく。彩美は母親に寄りかかりながら歩いていたが、途中で抱きかかえた。その後ろ姿を眺めていると悠平が、

「あの時、本当に財布落としたのか?」

「さあ、どうだろうね」

「まあ、どっちでもいいけどさ」

「だろ。どっちでもいいんだよ」

「そういえばさっき、なにか探してる様子の高校生っぽい男女がいたけど、お前のとこの生徒じゃないのか?」

「俺のところの生徒だよ。そんでうまくいけば将来的にはお前らみたいになる」

「どういうことだ?」

「別に。ただ、友達が告白するのを応援したいってやつに俺の昔話をしただけだよ」

 塚田はレモン色の満月を見上げた。




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