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高校が舞台の小説が苦手なんです。

最近は小説をよく読む。
もともと読書は好きであったが、読む時期と読まない時期が交互にやってくる。
先日の記事でも書いた『ザリガニの鳴くところ』を読んでからは読書欲が膨らんできて『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。
これは2度ほど挑戦したが挫折してしまっていた作品だった。その2度とも同じようなところで読むのをやめてしまい、どのような展開、結末であったのかがずっと気になっていた。それを読み切ることができたのは嬉しかった。

その流れで『そして、バトンは渡された』を読み始めた。
本屋大賞をしている作品ということで書店ではよく見かけたし、緑色の背景にオレンジ色の一本線が印象に残っていた。

今度はこれを読もう

と思いすぐにKindleで購入し読み始めた。
が、冒頭から少し雲行きが怪しくなるのを感じた。

私は何故か高校が舞台の作品が苦手だ。
高校生の時はそうではなかった。小説も漫画も高校を舞台にしたものをよく読んだ。『君に届け』をよく読んだのを覚えている。
しかし高校を卒業してからは苦手になった。
何故苦手なのか、作品に触れているときにどう感じるのかを考えてみると、不快感や恥ずかしさのようなものがあるように思う。

自分の高校時代は決して充実していたものではなかった。華やかとは程遠い時代であったとは思う。しかしトラブルを抱えたとか、辛い時期であったというわけでもない。そのため自分の高校時代の印象がフラッシュバックするというわけではなさそうだ。

小学校や中学校、大学を舞台にした作品に対しては毛嫌いすることはない。
小中大と高校の作品を比べるとどのような違いがあるのだろうか。
小中大を舞台にした作品は展開が多岐に渡っているように思う。そもそも中学生が主人公の作品は珍しい。東京リベンジャーズは中学生が主人公ではあるがそれも独創性豊かな作品だ。小学生が主人公のものも同じような話は少ない。ちびまる子ちゃんとサザエさんで中身が被ることもあまりないと思う。

しかし高校は展開が似通っていると思う。
友達に一方的に嫌われる。片想いをしている友人の中を取り持つことをさせられる。恋愛。誤解があってすれ違う。明るく活発な友人と思慮深い友人のセット。噂好きのクラスメイト。
こういった高校生活あるあるに基づく展開が多く、嫌気がさすのだと思う。
そしてそこには高校生活が世界の全てだと信じ切っている年代の大袈裟な表現がなされることもある。
これらが不快感や恥ずかしさの原因なのではないだろうか。

私は小説には身近さは求めていないのだと思う。
自分以外の誰からの特異な人生を追体験したいのだと思う。
小説においても自分の見たことのない世界に触れたい。

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