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PANTAのnote

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2023年5月の記事一覧

「いつだってブルース」①

MZA有明のB.B.キング&アルバート・キングのライブに出向く。 1989年?だったかな、ちょうどレコーディングしている花田を誘って意気揚々と濃緑色のW113-縦目の250SLを晴海通りに走らせる。「花田、レイニーのアンプを買ったよ、すごくいい」と話しかけると寡黙な花田から「PANTA、レイニーはメタルのアンプだよ」とちょっと冷笑交じりのつれない返事が返ってきた。「えっ、ガツンと強いアタックでものすごく気持ちよかったんだけど…」確かにつまみの類はたくさんあり、音の作り方が難し

マーラーズパーラー余談②

先のレコ倫からのクレームとは別に、対策を施したり、懸念されたりした歌詞を思いつくまま書き出せば、「彼女は逆立ち中ピ連」が「彼女は逆立ち1000mhz」、ソ連製のスホーイをインド製のマルートに替え、まだまだ書かねばならない歌詞もあるのだろうが、一番の問題は一番懸念されたモールス信号を入力してしまったことだった。 「あなたの周波数をこちらの周波数に合わせてください」というモールスでは通常の連絡事項をモールス信号の音として曲中にはめ込んだのだ。 レコード及び放送媒体にモールス信号を

【自分史】エルヴィスに夢中だった②

オレがエルヴィスを好きになった頃は、すでに彼は中年の域に達しており、髪もオールバックで小綺麗にまとまり、一年に一本の割で映画を作り、そのサウンドトラックが発売されるというローテーションだった。 「いとこにキッス」「ラスベガス万歳」とかさわやか青春ものというイメージが押し出され、オレの思うエルヴィスのイメージは、そこに見つけることは出来なかった。 オレにとってのエルヴィス・プレスリーとは「ハウンド・ドッグ」であり、「監獄ロック」であり、「ハートブレーク・ホテル」であり、「恋の大

【自分史】エルヴィスに夢中だった①

エルヴィスに夢中だった。 エルヴィス・プレスリーの映画を盛んに観に行き、中古レコード屋で彼のレコードを探しまくっていた。 まだまだレコードは値段が高く、アルバムは1800円、シングルは360円の時代であったので、小学生中学生にとってはとても手が出る金額ではなかった。 家の近所の古着屋でGジャン&Gパンを買い求め、裏地が真っ赤なダブダブのGジャンで不良を気取ってたのもこの頃だ。 不良を気取ってたからであろう。仲間と二人で街を歩いているとき、さらに不良な四人組に因縁をつけられ、オ

【自分史】父親が米軍キャンプに勤めていた②…メリック軍曹

所沢では市民との交流を図るイヴェントとして桜祭りというのが開かれていて、その日だけ基地が一般に公開される。 父親が忙しいので、父親と仲のいいメリック軍曹という人物にオレは預けられ、彼が親身になって一緒に遊んでくれた。 ある戦車の前にくると彼に乗れと促され、上ろうとしたその鉄板の厚さに、ひどく感動した覚えがある。 てっぺんの回転砲塔にたどり着くと、上部がオープンになっていて、変な戦車だなぁと思いながらも、そこから中に入り込み、操縦席に座り込んだ自分はすでに気分はいっぱしの戦車兵

浅草三社祭

四年ぶりの開催に沸く浅草三社祭。退院後、リハビリをしながら自宅療養を続けていたが、ここにいたって、やっと外出出来るようになり、久しぶりの遠出ということで、楽しみにしていた浅草三社祭へ行かせてもらった。息子:竜太の関東やまと太鼓の豪快な太鼓の連打による神輿の行列はそれはそれは素晴らしいもので、チャンチキ、笛、そして三味の音に合わせて女神輿、子供神輿、そして喧嘩はご法度とされている男どもの荒ぶる神輿に雨雲を蹴散らした好天気の下で、テレビカメラに追いかけられまくる各町内の法被が浅草

【自分史】父親が米軍キャンプに勤めていた①

父親が米軍キャンプに勤めていたこともあって、ボロ家ではあったが、家にはアメリカ人の来客などもあり、連れて来た子供と一緒に遊んでいたことも記憶にある。 子供ではあったが、やたら体毛が濃いのに驚いて、その産毛を引っ張ってからかい、あげくに取っ組み合いの喧嘩になってしまったこともいまになっては懐かしい想い出だ。 時たま祖母の作った弁当を持って、基地で働く父親に届けに行くことがあった。 フェンスに囲まれた中央にゲートがあり、白いヘルメットをかぶった衛兵が二人、小さな電話ボックスのよう

マーラーズパーラー余談①

黒川つねみという頭脳警察のスタッフがいた。 彼に関しては書くことが山積みなので、いずれかつてのZK関係者などの証言とともにいろいろ記していきたい。 種子島からフォークシンガーを目指して上京し、「火縄銃でボーン」というシングルを出すにいたり、いまやカルトな連中のコレクターズアイテムとしてとんでもない人気を呼んでいるのだ。 その通称ツネと呼ばれている黒川が居候させてもらっていたユキという男。こいつはクラシックの作曲家の卵としてマーラーに心酔し、 「ベートゥベンなぞ足下にも及ばない

【自分史】1975年12月31日 渋谷の屋根裏にて

1975年12月31日 渋谷の屋根裏にて頭脳警察は、ほぼ5年間の活動にピリオドを打った。  その後、オレはソロ、PANTA&HALなどを経て、1990年に頭脳警察を一年間限定で再結成することとなる。  そして現在、再々結成(?)した頭脳警察としてTOSHIと共にまた暴れようとしてるわけだが、ここではいままで書かれるだけであったオレ、及び周りの状況などを、自らの再確認の意味も踏まえながら、音楽の話を中心に自分の言葉で語っていけたらと思う。  オレは1950年2月5日(正確には4

「チェリー」という初めてのペット

友人にハンドガンしか使わない男がいる。 そしてそいつの部隊の隊長に後ろから回り込まれ、喉元にナイフをあてられてしまったというイチバン恥じなことをされてしまったことがある。それも一度ならず二度もやられた・・・。米海兵隊員も向こうには入っていたが、いわゆるサバゲ―の話。 それはもう湾岸戦争の始まろうかというときだからあくまでも遊びの範疇ではある。 自分の母屋の庭の上には東から西へと長いワイヤーが貼られており、帰国したGIがもらってくれと置いていったチェリーという犬がいた。いかにも

三軍統合記念日

小学生のころ、下宿していた空自隊員と一緒にオヤジに連れられて、在日米空海陸軍の三軍統合記念日に毎年といっていいほど連れていかれた。 1950年は昭和25年、朝鮮戦争の始まった年に生まれた自分。空を見上げれば、あの山本五十六の搭乗した一式陸攻を撃墜した双胴の悪魔ロッキードP-38などが編隊を組んで飛び回っている所沢の空模様。 そんな空の下で育った少年が連れていかれたのは、米海軍の厚木基地、空軍の横田基地、そしていまは航空自衛隊の基地となっているジョンソン基地こと入間基地であり、

「同志少女よ、敵を撃て」

凄まじい物語と出会ってしまった。 アガサクリスティー賞に選ばれた「同志少女よ、敵を撃て」という赤軍女性狙撃手を描いた小説。 小説なのだがどんな時事評論よりも近代東欧史、ロシア、ウクライナ、コサック、クリミア、スターリングラード、ケーニッヒスベルグ(現カリーニングラード)などの関係性が、まるで自分の見てきたセヴァストポリの戦争博物館のジオラマのように可視化されてくる。 それは見事な表現力。 怒り、悲しみ、敵味方、愛と憎悪の逡巡する中で引き金に指をかけるロシアンスナイパーの生き様

「アウトロ」

アルバム「乱破」のレコーディングを終え、その後のロフト9での町山智浩くんとの対談の際に、 「『アウトロ』という晩年を唄ってるのにそれをなぜいまというのと、黄泉比良坂のあとになぜ現代的なつがいのミサゴ(オスプレイ)が入ってくるのですか?」 と聞かれ、ついつい話題が次の話に飛んでしまったもので応えるすべもなくそのまま終えてしまったのだが、気になっていたので、あえてここでいわせてもらう。 深い意味は何もなく、この歌詞は横田基地のそばのフェスのおこなわれている空き地で書いていたもので

PANTAより「夕刊フジ・ロック 5th Anniversary〝Thanks “」ライブステージ復帰に向けてメッセージ!

長かった入院生活から脱却でき、リハビリに勤しみながら、やっとのライヴ活動復帰への足掛かりに、夕刊フジ・ロックへ出演させてもらいます。 まだまだ本調子とは言えないまでも、メンバーたちの想い溢れる熱いサポートに乗らせてもらいます。 なおこの日のプログラムはかつてなかったほどのレアな内容に仕掛けられており、うじきくんが頭脳警察のヴォーカルをとったり、夕刊フジ金曜日で、そろそろ百回を迎えんとする対談を繰り広げているミッキー吉野とソロを指しあい、かつあんな曲などを一緒に唄ってしまったり