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【自分史】父親が米軍キャンプに勤めていた①

父親が米軍キャンプに勤めていたこともあって、ボロ家ではあったが、家にはアメリカ人の来客などもあり、連れて来た子供と一緒に遊んでいたことも記憶にある。
子供ではあったが、やたら体毛が濃いのに驚いて、その産毛を引っ張ってからかい、あげくに取っ組み合いの喧嘩になってしまったこともいまになっては懐かしい想い出だ。
時たま祖母の作った弁当を持って、基地で働く父親に届けに行くことがあった。
フェンスに囲まれた中央にゲートがあり、白いヘルメットをかぶった衛兵が二人、小さな電話ボックスのような詰め所に控えている。
「中村です」と名前を告げると、「ちょっと待っていてね」とおもむろに電話を取り上げ、その部署らしきところに連絡して、なにやら英語で喋っている。その手際よさに、フェンスの外の日本では、まず見られない規律という空気に触れたような気がしていた。
しばしゲートで待っていると、部下にジープを運転させて、オリーブ色の軍用服に身を包んだ父親がやってきて、ご苦労と敬礼をしながら弁当を受け取り、手を振りながらまたジープに乗って去って行く。
この光景は子供心にいたくカッコいいものとして目に焼き付いてしまっている。

※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。

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