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【自分史】エルヴィスに夢中だった②

オレがエルヴィスを好きになった頃は、すでに彼は中年の域に達しており、髪もオールバックで小綺麗にまとまり、一年に一本の割で映画を作り、そのサウンドトラックが発売されるというローテーションだった。
「いとこにキッス」「ラスベガス万歳」とかさわやか青春ものというイメージが押し出され、オレの思うエルヴィスのイメージは、そこに見つけることは出来なかった。
オレにとってのエルヴィス・プレスリーとは「ハウンド・ドッグ」であり、「監獄ロック」であり、「ハートブレーク・ホテル」であり、「恋の大穴」であり、「エド・サリバン・ショー」で腰から下の動きが卑猥すぎるということでバストアップしかカメラに収められないというような、あくまでも不良、そして反社会的なものがエルヴィス・プレスリーなのである。
あの時代、如何に、というか、だからと言うかミシシッピー生まれの白人のエルヴィスが黒人のような歌を唄ったということは、差別社会のアメリカにとって相当ショッキングな出来事であったろうと想像するにあまりある。
世の保守主義者が眉をひそめるなかで、圧倒的に若者達は、この時代の寵児を支持し、歓声を送りつづけたのだ。
前述のフォスターもそうである。
こよなく黒人音楽を愛していたフォスターへの風当たりは、とてもいまの我々には想像出来ない。
いつの世も時代を変えるものは、既存のレールを走って来たものに疎まれるのが運命だ。
逆に、いくら反逆的、攻撃的なものであっても、認知されてしまうものなど、その程度のものと思って良いだろう。
モーツアルト、フォスター、エルヴィス、ビートルズ、セックスピストルズ、エミネム、次の時代に雄叫びをあげるのは、一体、どんな奴なんだろう。

※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。

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