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【自分史】1975年12月31日 渋谷の屋根裏にて

1975年12月31日 渋谷の屋根裏にて頭脳警察は、ほぼ5年間の活動にピリオドを打った。
 その後、オレはソロ、PANTA&HALなどを経て、1990年に頭脳警察を一年間限定で再結成することとなる。
 そして現在、再々結成(?)した頭脳警察としてTOSHIと共にまた暴れようとしてるわけだが、ここではいままで書かれるだけであったオレ、及び周りの状況などを、自らの再確認の意味も踏まえながら、音楽の話を中心に自分の言葉で語っていけたらと思う。
 オレは1950年2月5日(正確には4日)に、埼玉県所沢市で生まれた。
 呼び方が難しいのだが、歴史教科書的には第二次世界大戦なり太平洋戦争なりが終わった1945年から5年後のことであり、朝鮮戦争勃発の年でもある。
 確かに空には双胴の悪魔と呼ばれたロッキードP−38とかが飛んでいたり、防空壕の跡があちこちに点在していたりして戦後の雰囲気は子供心にも充分理解出来ているのだが、どうしても遠い昔の話、教科書の中だけの戦争という感じが拭えないのである。
 いまのオレにとっては5年前というと、ほんのちょっと前という感覚なのであるが、同様にいまの20代にとってはベトナム戦争なんて教科書の中の戦争であり、いま生まれた子供達にとってはイラク戦争なんて教科書にも乗らない些細な出来事であるに違いない。
 父親は民間人として米軍所沢キャンプに勤務し、輸送課長という職務についていた。
 母親は所沢国立病院に看護婦として勤務し、オレはほとんど祖母によって育てられた。
 祖父はオレの生まれる遥か前の1937年に他界しており、祖母は1993年に92才で大往生した。
 家系に関しても両親に関しても、出生そのものも当たり前だが、その後のオレに大きく関わってくるので、後で詳しく綴るとして、ここでは紹介程度に抑えておく。
同時に各項目などにも細かく関わってくるだろうから、その都度、触れていければと思う。
 街に音楽が溢れているという状況でもなかった。よく戦後の町並みを背景に「りんごの唄」とか”丘を越えて〜♪”などがテレビでよく流されるが、そんな状況、一度だって、見たこともない。
 もっともここが浅草でなく、所沢ってこと故なんでしょう。
 7,8才の頃だったと思うが、ラジオ局のインタビューを受けたことがあって、その内容というのが、「ジャズと歌謡曲とどっちが好きですか?」という質問であった。
 当時は演歌だろうが何だろうが日本のものは歌謡曲、洋物は何だろうがジャズと呼ばれていたらしい・・それがわかるのはしばし大人になってからのことなのだが・・・・。

※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。


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