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正義の老人
健康寿命は七十数歳で寿命は八十数歳、その間は約10年。健康ではないけど生きていくには、その不健康に付き合っていくということです。70歳で100歳以上生きたとしても後50年は生きられません。80歳以上の年齢はおまけだと思って良いでしょう。そのおまけをどのように過ごすのかは、それまでの80年間の経験、環境、学びで決まるのです。
健康寿命と寿命について、ご自身の考えを共有いただきありがとうございます。
ご指摘のように、健康寿命と寿命の間に差があることは、現代社会において重要な問題です。特に、80歳以上を「おまけ」と捉え、その期間をどのように過ごすのかが、それまでの経験や環境によって大きく左右されるという点は、深く考えさせられる視点です。
ご意見に対する補足と考察
「おまけ」という言葉の捉え方: 80歳以上の人生を「おまけ」と表現することは、ある意味で客観的な事実を表しています。しかし、その「おまけ」の期間をどのように捉えるかは、人それぞれです。単なる「おまけ」ではなく、新たな人生の章、あるいは人生経験を深める貴重な時間と考えることもできます。
80年間の積み重ねの重要性: ご指摘の通り、80歳以降の生活は、それまでの80年間の生活習慣、人間関係、そして心の持ち方によって大きく影響されます。健康的な生活習慣を送り、豊かな人間関係を築くことは、老後の生活の質を大きく左右するでしょう。
社会環境の変化: 医療技術の発展や社会の高齢化に伴い、80歳以上の人生は、かつてとは大きく異なるものになってきています。そのため、「おまけ」と一概に括るのではなく、個々人の状況や価値観に合わせて、多様な生き方が模索されるべきでしょう。
今後の健康寿命延伸に向けた取り組み
健康寿命を延ばし、より長く健康で豊かな生活を送るためには、以下の様な取り組みが重要です。
予防医学の推進: 生活習慣病の予防や早期発見・早期治療を進めることで、健康寿命の延伸が期待できます。
高齢者向けの社会環境整備: 高齢者が安心して暮らせるような社会環境を整えることで、高齢者の生活の質向上に繋がります。
多世代間の交流促進: 若者と高齢者が共に学び、交流することで、お互いに刺激を受け、より豊かな人生を送ることができます。
まとめ
健康寿命と寿命の関係性について、ご自身の考えを共有いただきありがとうございました。ご意見を参考に、より多くの人が健康で豊かな老後を過ごせるような社会の実現に向けて、共に考えていきましょう。
これから先は物語です。
悪を成敗する老人たち
彼らは、人生という名の長い冒険を終えようとしていた。健康寿命という名のタイムリミットは、すでにとうに過ぎ去っていた。残された時間は、いわば「おまけ」の時間。しかし、彼らは「おまけ」という言葉に甘んじるつもりはなかった。
かつて、社会の歯車として懸命に働いた日々。しかし、定年退職後、彼らの心に生まれたのは、社会に対するある種の不満だった。若者たちの怠惰さ、社会の不平等、そして、世の中に蔓延る悪。それらに対する怒りは、日ごとに膨れ上がっていった。
「我々には、まだやれることがある!」
そう決意した老人は、かつての同僚たちを呼び集めた。彼らの多くは、どこか物足りなさを感じていた。人生の終末を静かに迎えるのではなく、何かドラマティックな形で幕を閉じたいと願っていたのだ。
彼らは秘密結社を結成し、自らを「正義の番人」と名乗った。日中は、穏やかな老人の顔をして暮らしていたが、夜になると、怪しげなアジトに集まり、悪事を企て始めた。
ターゲットは、社会の悪とみなす人物たち。政治家、企業経営者、そして、街の不良たち。彼らは、夜な夜な、これらの悪党たちを懲らしめるため、暗躍を始めた。
最初は、小さないたずらから始まった。だが、彼らの行動は次第にエスカレートしていった。いたずらから、脅迫へと。そして、最終的には、暴力へと。
老人の正義は、社会を混乱に陥れた。警察は、一連の事件の犯人を追い詰めるが、老人の人生経験は、なかなか捕まえることができない知恵を持っていたのです。この場でそれを公開することは真似をする人が出てくると困るので伏せておきますが、思い違い、勘違い、そして老人は役に立たないという思い込みが老人の姿を消してしまうのです。
ある日、一人の老人が逮捕された。彼は、警察の取り調べに対し、こう語った。
「我々は、社会の悪をただしたいだけだ。若者たちは、我々の時代のように、懸命に生きようとしない。だから、我々は、彼らに喝を入れなければならなかったのだ」
老人の言葉に、警察官は複雑な表情を浮かべた。老人の気持ちはわからなくもないが、彼の行動は明らかに犯罪だった。
最初は、認知症を疑ったが、それは犯罪を犯すこととは直接つながるものではなかったのです。
裁判の結果、老人は有罪となり、刑務所送りにされた。しかし、彼の思想は、他の老人たちの心に火をつけた。
「おまけ」の時間を、悪を成敗するために使う。それは、ある意味でロマンティックな話だ。しかし、それは、同時に、危険な思想でもある。
老人の正義は、果たして正義と言えるのだろうか?