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笑い

男は笑わない。鋼鉄の仮面を被ったように、どんな滑稽な話にも、どんなおかしな芸にも、表情一つ変えなかった。

落語家の名人芸にも、大道芸人の妙技にも、彼の口角は微動だにしなかった。まるで感情というものが欠落しているかのように、常に無表情を貫いていた。

そんな男が、初めて心の底から笑った。哄笑した。腹を抱えて笑い転げた。それは、まるで氷河が崩れ落ちるような、大地が割れるような、そんな衝撃的な出来事だった。

彼を笑わせたのは、天下の名優でもなければ、天才的なコメディアンでもない。生後数ヶ月の、まだ言葉を話せない男の初孫だった。男にとって、孫は目に入れても痛くない存在であり、希望の光だった。

ある静かな午後、男は孫をあやしていた。窓の外では小鳥がさえずり、柔らかな日差しが部屋を満たしていた。男は、孫の小さな手を握り、優しい声で話しかけていた。すると突然、孫の小さな体から、雷鳴のような音が轟いた。

「ブッ!」

それは、大人顔負けの、見事なおならだった。まるでトランペットのファンファーレのように、部屋中に響き渡った。

その音に驚いた孫は、目を見開いて一瞬動きを止めた。
まるで時間が止まったかのように、静寂が訪れた。次の瞬間、何が可笑しいのか、ケラケラと笑い出した。

その笑顔は、太陽のように明るく、花のように純粋だった。

その無邪気な笑顔を見て、男の心は震えた。鋼鉄の仮面が砕け散り、つられて笑いが込み上げてきた。それは、まるでダムが決壊したかのように、抑えきれない感情の奔流だった。

男は孫を抱き上げ、共に笑い転げた。それは、人生で初めて感じる、純粋な喜びだった。まるで暗闇の中に光が差し込んだかのように、彼の心は温かいもので満たされた。

笑いは、作るものではない。計算されたものではない。それは、幸せの副産物だ。愛する者の笑顔に触れた時、心の底から湧き上がるものだ。

男は、孫のおならによって、その真理を悟った。そして、心の底から笑うことの素晴らしさを知った。それは、彼の人生における、最も貴重な贈り物だった。

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