「何者かになりたい」と「今のままで十分しあわせ」の狭間
正直に言って私はいまだに「何者かになりたい」と思っている。
未来に無限の可能性がある若者ならまだしも、私はもうしっかりとしたアラフォーだ。そのくせアラフォーにふさわしいゴリゴリの実績も実力もないうえに「85才のVtuber!」みたいな珍しさも「100日で○○になるぞ! 」みたいな強いコンテンツ力もなく、どこにでもあるようなテーマでエッセイやイラストをちょこちょこと描く程度のぬるい活動をしている。麻婆春雨が好きだとか、夫が高橋一生さんだったらいいなとか。なめてんのか。
しかし、何者かになりたい……。
私の話を聞いてほしい、褒められたい、認められたい、社会から必要とされたい。
書いたものを必死にツイートして、拡散してくれた人に「ありがとうごぜえやす〜! あなたが大好き! 今後ともよろしくおねげえしますー!」と、ゴマをすりすり手をモミモミしながら感謝を述べまわる毎日だ。
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私はいつからこんなに承認欲求お化けになったのだろう? と考えると、おそらく『前田デザイン室』というコミュニティに入ってからだと思う。
『UN-CHA』という、うんちモチーフの缶バッチ作りに惹かれ、ホイホイとそこへ入ったことが運命の分かれ目だった。JPEGすら何のことか分かっていなかった主婦が、一流のデザインやライティングの世界に触れて物作りをするようになった。
何者でもない主婦の私は、そこで作ることの楽しさ、夢中になれることの喜び、褒めてもらえることの嬉しさを体験して気持ち良くなってしまったのだ。
「何も知らないド素人だからできなくて当たり前じゃん?」という無敵かつ死ぬほど卑怯な盾が私を守り、さらに作っているものがダサいということに気付いていない状態だったため、あろうことかあのデザイン大統領、前田高志さんにがっつりマンツーマンで教えてもらうという、クリエイターからしたら何百万円出しても欲しがるほどの贅沢な体験もさせていただいた。
「私なんか……」とかいいつつ、どんどんキモい作品を作っては出し、コメントをもらってはさらに調子に乗り、ヘラヘラする声を大きくしていった。(その後、順調に学んでいき、自分の作ったものがクソダサいという現実や、やってきたことの傲慢さに気づくことができ無事に羞恥で死んだ)
コミュ障の引きこもり主婦で、厨二病風味のメンヘラ傾向もある私は、メンバーからするとさぞ厄介で面倒臭い新人だったことと思う。(その節は本当にすみませんでした)
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コミュニティの外でも、いろいろなところで文章を書いたりイラストを描いたりするようになった。
それまで家族の中のお母さんの役でしかなかった私が、個人の「斉藤ナミ」として過ごせることや、自分が作ったものを家族以外の誰かと共有できて、それを評価してもらえるということは、想像以上に「社会の中で生きている感」を感じさせてくれた。
しかし私は心が汚くて卑怯者で罪深い人間だ。こんな人間は、家族に恵まれて、住む家があって、ご飯が食べられるだけで十分に幸せで、毎日暖かい布団で眠れることを神に感謝しなければいけないのだ。
しかもうちには猫ちゃんだっている。たぶん世界一かわいい。毎日彼女には「ねぇ、うちに来てしあわせ? こんなに最高な猫ちゃんがうちなんかにいてくれるの? 本当にいいの? 明日突然いなくなったりしない?」とヤバいメンヘラ彼女みたいなことを聞いている。こんなにかわいい猫ちゃんがいて、他に何を望むんだ? 傲慢な人間め。
「◯◯くんのママ」ではなく個人名で社会と関われるようになったし、たくさん知り合いもできた。エッセイを書ける場所だってある。
もう十分じゃないか。今のままで十分に幸せなはずでしょ?
なのに、まだ足りない。もっと作りたい、見てもらいたい、もっと面白いものを作って、もっともっと笑わせたい! と思ってしまうようになってしまい、家事や育児をおろそかにしまくっている。
作ることに集中してしまうと、1日くらいご飯を食べなくてもトイレに行かなくても平気な私。当然、以前に比べると格段に家の状態はよろしくないし、ご飯も手抜きな日が多い。
ふと冷静になるといろいろなところが汚くて、「なんだこの埃は……。私は何やってんだ? アラフォーの母親だぞ。勘違いしてんじゃないよ、ただのおばさんが! もっと家族のご飯を美味しく作ることや、快適な暮らしをするための努力の方を頑張りなさいよ」と我に返るが、ディスコードやslackの通知が来ると0.5秒で母モードを忘れ去り、「おっ、どれどれ? なんだい?」と、ヒョイヒョイ軽い足取りでパソコンを覗きにいってしまう。
深いところまで突き詰めると「幼少時代の愛情不足が……」などという面倒臭そうな闇展開が待ち受けてるのかもしれないが、年末のハッピーなnoteにそれは暗すぎるので今回は置いておいて……。
子どもの学校のママ友や仕事の同僚以外の誰かと繋がれること、家族以外の社会にちょっとでも必要とされること、どんどん新しい視界が広がっていくことが、堪らなく嬉しいのだ。
子どもたちが「ママの唐揚げが世界で一番だぁいすき☆」なんてCMのセリフみたいなことを恥ずかしげもなく言ってくれたり、体調が悪くなって寝込んでいた時に「弱ってるママを守ってくれるから」と、手作りの麦わらの一味人形をベッドに並べてくれたりするのを見ると「まじで何やってんだよ私……! もっと子どもたちとの時間を過ごせよ! おるぁっ!」と、泣きながら自分をぶん殴りたくなる。が、元気になるとやっぱりパソコンに向かってしまう。
夫の方が100倍忙しいし、10倍稼いでいるのに、その彼に子どもの面倒を見させて編集部との打ち合わせに時間をもらうのも「まじで何やってんだ?」 となるけれど、それでもやめられないのだ。
どれだけ冷静に考えても、子どもの小学校の誰にも読まれない広報だよりを書いていた時よりも、webメディアの記事を書いている今の方が楽しい。読者が私のコラムを読んで感想を送ってきてくれた時の「私の声が、この方に届いたんだ!」という感動や嬉しさといったらない。いまだに震えるくらいだ。
まだまだどんどん書きたい。たくさん書いて、たくさん笑わせたい。「ナミさんの文章、面白かった」と言ってもらいたい!
あぁ……なんて身の程知らずで傲慢で強欲なんだ。
そんな風にあっちとこっちの私を行ったり来たりしている。最近は、その狭間で葛藤してるのも、まさしく私だな、と思うようになってきた。
ランドリーボックスというメディアで次回公開予定の連載記事でも『女は40歳を超えるといろいろ楽になるって本当か? (タイトル仮)』と題して、「アラフォーにもなってくるといろいろと諦めて開き直ってくるよね。なら、もうこれからは楽しんじゃおうかな」的なコラムを書いているので、よければそちらもお楽しみに!
(12/7 追記:公開されました。こちらからどうぞ)
今は、子どもたちにも夫にも「ママが楽しそうだから嬉しい」と思ってもらえたらいいなぁ、なんて都合よく思っている。
長男は最近、フォートナイトをしながらネットの向こうの友だちに「俺のママはあの洗剤の会社で記事書いたんだぜ!」とか自慢をしているので、「お、おいおい、よせやいー! そんなもん自慢するなよ〜! まいったなぁ〜」とか言いながら鼻の穴を膨らませている。いいぞ! もっとやれ!
そして「私なんて平凡な主婦で……」と思っている、私と同じような世の女性たちが、もっと気軽にいろいろと挑戦できるような世の中になったらいいなぁ、とも思っている。
というわけで……
「最後まで読んでくださってありがとうごぜえやす〜! あなたが大好き! 今後ともよろしくおねげえしますぅー」
手をモミモミモミ!
おしまい。
*この記事は「前田デザイン室 Advent Calendar 2022」にお誘いいただいて執筆させていただきました!
きったーさん、すてきな企画をありがとうございました。
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