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とりあえず、すわろう。

今思うとわがままなお願いだった。

4月のはじめ、感染禍直前。「ここではないどこかへ」行きたい念にいつも焼き焦がれている私は、自家用車を所有する知人を誘った。日本海シーサイドラインをひた走る他、特に目的はなかった。
新潟にしては珍しく天気の良い日だった。日没近くになっても、いつものように雲が垂れ込めるどころかすかっと澄んでいた。

列島の際を縫うように走り、右手の佐渡島がどこまでも追いかけてくる。女性歌手の洋楽が車内で延々と流れていた。運転手のビジュアルからは想像もつかない嗜好。幼少期、母方の祖母宅に向かうアルファードでは「〽泣きたくて 笑いたくて ホントの自分…」とか、時間をねるねるねる〇のようにとろませる宇多田ヒカルの歌声がこれまた延々と流れていた。

新潟市から出発したはずが、柏崎を過ぎ上越地方に差し掛かろうとしていた。ひとまず目的は果たしたので、北上して戻るか、それとも続けるかという話になった。私はその春運転免許を取得したばかりだった。2週間の合宿で二泊延泊した末に、首の皮一枚の繋がりで勝ち取った免許だった。奥州藤原氏の黄金郷から二度と出してもらえないんじゃないかと心の底から悲観していた。要するに運転は難しい!道中で交代する自信はない。しかし、このまま帰宅するつもりも毛頭ない。

結局、知人のアクティブさに甘えて糸魚川までドライブを続けることにした。小柄な体躯でがしがしと山を登り、頂でフルートを吹くような人物だからきっと大丈夫だろう。海上で湾曲する道路、民俗学徒を刺激する不思議な地名の数々、ゆで卵の黄身のような夕日…。新潟の好感度はこうしてじわりと上昇していく。

ところが、灰色の空。残念ながら持ちこたえることはできず、雨が降り出した。富山県との境、糸魚川にある道の駅に車を停めた。閑散とした商店で新聞を読む老店主。隙間だらけの陳列棚。何を買ったか記憶にない。何も買っていないかもしれない。
旅行の雲行きも怪しくなった。対向車線のトラックが轟音と共に容赦なく浴びせてくる雨水に悲鳴を上げながらさらに南下した。
知人は疲れていた。それはとても申し訳なかったが、代わるよとは言えなかった。

何時だったろうか。出発から4,5時間後、ついに富山県に至った。初めての富山県。車道傍には、グーだのちょきだのじゃんけんの選択肢がイラストになった標識が等間隔で立ち並んでいた。どうもパーが多かったような…。

今から帰ろうにもハンドルを握る運転手が限界である。早く運転の戦力になりたいと思ったが、仕方ない。道中の道の駅で車中泊することに決めた。さて、この日の夜何を食べたのだろう……?定食は昼だったし、サムライバーガーは翌日だった。記憶がすっかり抜け落ちている。

生まれて初めての車中泊は、道の駅ウェーブパークなめりかわの駐車場にて。滑川市はほたるいかが名物だと知ったのは翌日のことだった。黙っていると波の音が聞こえてくるほど海が近く、怖かった。仄暗い海の向こうから得体の知れない存在がぬるりと襲ってきそうだった。それに、同じく車中泊をしていると思しき他の車にも警戒していた、妙に。

海と我々を隔てる石造りの公衆トイレ、その壁面に描かれた極彩色の海洋生物たちが妙に生々しく、いよいよ怖さに拍車をかける。4月とはいえ、降雨後の夜は冷えた。

助手席で身体を折りたたみ、薄い眠りを繰り返すうちに空が白んだ。石造りの階段を上り、私のサプリメント・ラジオ体操第一を富山湾にお見舞いした。肌寒くもすがすがしい朝だった。


   °˖✧・✧˖°ムフムフヌクヌクアプアアのフタフタ珍道中°˖✧・✧˖°

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