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旅と本が見せてくれるもの:『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

お笑い芸人さんが好きで、アメトーークも好きで、読書大好き芸人も好きで、たくさん文学本を読んでいる人は信頼していて、で、オードリー若林さんの本が気になって読んでみた。

ひと言で言うと良かった。気軽にサクサク読めるし、オススメ。人見知りやインドア派と自負する彼が、急に「そうだ、キューバに行こう」とキューバ旅行したエッセイ。旅行気分も味わえる。もちろん、味わえるのは旅行気分だけじゃない。

5日間の夏休みが出来たからキューバに行くという弾丸旅行の数年前に、彼はニューヨークを体験している。

2014年2月初頭、スーパーボウルのロケでぼくはニューヨークにいた。生まれて初めてのニューヨークだった。ニューヨークのタイムズスクエア、ブロードウェイ、ウォール街を歩いた。タイムズスクエア周辺には、日本では見ないようなド派手な広告モニターがひしめいていた。
広告からは、
「夢を叶えましょう!」
「常にチャレンジしましょう!」
「やりがいのある仕事をしましょう!」
と、絶え間なく耳元で言われているような気がした。もしも「無理したくないんだよね……」などと言おうものなら、目の前で両手を広げられて「why?」と言われそうだ。
ニューヨークはどこに行っても金とアドレナリンの匂いがした。
(中略)
そして奇妙な感覚にとらわれた。
もしかして、ここから発信されている価値観が、太平洋を渡って東京に住むぼくの耳まで届いていたのではないだろうか?という直感だ。
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
仕事もお金もない時期に、家賃3万のアパートの部屋の中で絶えずリフレインしていたあの声。それは聞けば聞くほど「仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません!」という声に変換されて聞こえてきた。(「ruta1 ニューヨーク」より抜粋)

共感しかない。ニューヨークに憧れる人を否定はしたくないのだけれど、私もあのギラギラした感じに魅力を感じないし、最近身なりをよくしなきゃという気持ちもなくなってきているからか、広告というものがやけに鬱陶しく感じる。また、結局それに踊らされていることも、感じる。

タイムズ・スクエアの広告の渦は、ピカピカして色とりどりのきらびやかさが人気なのかな〜とこれまで漠然と思っていたのだけれど、そうか、それよりも「ここが世界の中心だ!ここから発信されたものが世界に伝播しているんだ!」というメッセージに魅了されるんだということを初めて知った。

それが好きな人ももちろんいるだろうし、それがキツイという気持ちもよく分かる…。特に「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」というポジティブなはずのメッセージが「それは聞けば聞くほど『仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません!』という声に変換されて聞こえてきた」という部分には、共感が溢れて仕方がない。

ニューヨークに憧れる人もいる一方で、それがしんどい人もいる。ニューヨークの価値観だけが素晴らしいわけじゃない。ニューヨークの発するメッセージに、NOを突きつけていい。

・・・でもまぁ、説得力はないよな、とは思う。「仕事で成功しなくてもお金がなくても人生は楽しめる」というのは、負け犬の遠吠えとしか思われないんじゃないか、成功できなかったからそう言うんじゃないの?という思いは、ふっと湧いてくるよね。それだけニューヨークに骨の髄まで洗脳されているんだよなぁ〜

しばらくして、搭乗口のドアが閉まり飛行機がゆっくりと動き出す。抜き足差し足で機体は滑走路に入る。管制塔の離陸のゴーサインを待っているようだ。突如、飛行機が加速して背中ごと背もたれに押さえつけられる。怒りで唸っているようなエンジン音が機内に響き渡り、速度がぐんぐんと上がっていく。
ぼくは飛行機に向かって「行け、行け、行け!」と念じていた。ものすごいスピードで空港のビルが後ろに押し流されていく。それに重なってぼくの嫌いな言葉も進行方向からフェードインしてくる。「コミュ障」「意識高い系」「スペック」「マウンティング」「オワコン」……。どの言葉にも冷笑的なニュアンスが込められていて当事者性が感じられない。それらの言葉も、ものすごいスピードで後方にフェードアウトしていく。
5日間、この国の価値観からぼくを引き離してくれ。同調圧力と自意識過剰が及ばないところまでぼくを連れ去ってくれ。(「ruta3 キューバ行きの飛行機」より抜粋)


私も、まったく同じようなことを思ったことがある。20代半ば頃だっただろうか、いろいろしんどい時期だった。会社はしんどい、親に会うのもなんかしんどい、正月休みに逃げるように旅行に行ったことがある。海外で長期ならどこでもよくて、行くつもりもなかったインドに、お一人様が参加しやすそうなツアーがあったから申し込んだ。なんか、よく分からないけど、石窟寺院をいくつか回るらしい。石窟寺院ってなんだろう。

関空から飛び立つとき、若林さんと同じように、あ〜、私の周りにベタベタと貼り付いてなかなか取れない、嫌なものが、飛行機の加速でハラハラと落ちていっている…そんな感じがした。解放されたいという思いが、すでに叶ったような、ホッとする思いがした。

結果的に、石窟寺院は正解だった。そのときはただただ連れて行かれるままに見に行って、へぇ〜はぁ〜と思って写真を撮って(そういえばあの写真のデータはどこにあるんだろう?)自由時間を持て余してぼーっとしたりした。だけれど、それからもぼちぼちと海外旅行をして、10年以上経って、ちょこちょこと思い出すのは結果、インドの石窟寺院だったりする。不思議だ。

ガイドブックかなにかに書かれていた、勝手に現地の人を写真に撮ってはいけませんよ、というマナーも素直に守っていたのだけれど、同じく石窟寺院に社会科見学のように訪れた小学低学年くらいの子どもたちに、そんなインドの田舎の辺鄙なところにアジア人が来ているのが珍しくて囲まれて、「どっから来たの?」「どっから来たの?」と聞かれながら、ワラワラと集まってきたので、写真を撮ってあげたら「私も撮って!私も撮って!」とかわいい表情を見せてくれる。そんなことを思い出したり。

石窟寺院とは、もともと岩山の断崖だったところに、コツコツとノミを入れて掘っていって寺院を創り上げる。は?機械があるわけでもないときに、ノミと金槌だけでコツコツと掘っていくってどういうこと?と果てしない作業を想像して気が遠くなったり、この岩肌も、2000年前とかに先人が触った岩肌かも…なんてことに思いを馳せたり。仏教とか、インド哲学とか、冥想とかに興味を持っている今、なんか昔の私も結局惹かれるところがあって選んでいたのかな、とか、今だからこそ行きたいわ!とも思う。

機体は順調に高度を下げ、機体の腹からタイヤを出した(本当はとっくに出ている)。
では、なぜぼくは灰色の街でこれからも生活し続けるのだろうか。ここを出る勇気がないから?いい歳をして言い訳を探してるだけ?
ここで生活し続ける理由。
それは、
白々しさの連続の中で、
競争の関係を越えて、
仕事の関係を越えて、
血を通わせた人たちが、
この街で生活しているからだ。
だから、絶対にここじゃなきゃダメなんだ。
(中略)
そうか、キューバに行ったのではなく、
東京に色を与えに行ったのか。
だけど、この街はまたすぐ灰色になる。
そしたらまた、網膜に色を映しに行かなければぼくは色を失ってしまう。
(「あとがき 東京」より抜粋)

そうなんだよね、インドから帰ってきた飛行機で、着陸に向かうにつれて行きの飛行機で剥がれたはずの嫌なものが、ベタベタとまた貼り付いてくるのが感じられた。結局、日本を離れたときだけの期間限定で、日本に戻ってきたら、その貼り付いてくるものと向き合わなければならなかった。こんなに簡単に、磁石で吸い寄せられるかのように、すぐにまとわりついてくるなんて。

当時はそれにがっかりして、その後をどうやって乗り越えたのか分からないけど、でも若林さんが言うように色が与えられたのかもしれない。だから今があるんだろう。

キューバの街を歩くかんじも、英語もスペイン語もしゃべれない若林さんが一人、バスに乗ってビーチへ向かうドキドキも、様々な人に触れ合って交流する感覚も、まざまざと体験できるいい本だった。

最近ちょっと「知らない世界に飛び出す」という挑戦に尻込みしているんじゃないか?という思いも湧いてきていたのだけれど、気負ってニューヨークに行くわけではなくキューバを体験できたことで「あ〜、これやろっかな」が湧いてきた。ニューヨークに骨の髄まで洗脳されているところから抜け出そう。若林さん、ありがとう。コロナもあって、今すぐ旅行という気分ではないけれど、英語の練習でも進めておこう。


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