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歴史で辿るいけばな色々/①「依代 立て祀る花」

2019年、白白庵では華道家・山田尚俊(大和花道/家元)を講師に迎え、半年間特別講座「歴史で辿るいけばな色々」を開催しました。
同講座ではいけばなの歴史を振り返って学びつつ、各回のテーマに沿っていけ込み、講座限定のオリジナル花器とお花をお持ち帰りいただきました。
当記事では山田尚俊監修の下、その講座内容をアーカイブとしてご紹介致します。
※第一回は富田啓之個展「EARTH」に合わせて開催。画像は講座の様子から掲載。

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「歴史で辿るいけばな色々 第一回『依代 立て祀る花』」

花道、いけばなと言えば独自に発展した日本文化のひとつで、四季があり、自然豊かだからこそ生まれたものです。
日本文化を学ぶというと仰々しいものに思われがちですが、私たち日々の暮らし、生き方の中に根付いている日本人の所作、美意識などを思い出して少しづつ取り戻してもらえれば良いと考えています。
あくまでも現在進行形の私たちの生き方こそが日本文化なんだということを忘れずにいてください。

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○八百万信仰と依代

日本には古くから「八百万の神々」という考え方があります。
自然のあらゆるものには神様が宿っているという信仰です。
そしてこれらの神々はたくさんいるだけではなくて、定住する住居を持たない「漂泊神」です。
祀り事の際に、日本人は必要に応じて、漂泊する神様を身近にお招びしていました。神様を招ぶ目印、神様が降りる場所として常緑樹や花を垂直に立てたもの、それが「依代」です。
農耕文化が発展する中で、田植えの際には田んぼ桜の枝を立てて神様をお招びしました。その名残が「春にお花見」です。
現代では、身近な依代としてお正月の「門松」や「松飾り」が残っています。これらは新年に神様を家にお招びするための目印です。

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○仏教伝来と供花

それまでの信仰が八百万の漂泊する神々であったところに仏教が伝来しました。仏様はふらふらせずに決まった家である「寺」という建物に住みます。仏様への信仰心や敬意を示すために花を供える、「供花」も仏教と共に伝来しました。
伝来以前、インドでは散華といって、花弁や花首だけを撒くものが中心でした。曼陀羅に描かれる供花がとても短いのはこの名残でしょう。
それが中国に渡り花器にいけるようになります。
日本での供花は平安〜鎌倉期においては伝来からあまり変化がありません。

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○室町時代の花

室町時代に入り、日本の依代を立て祀る風習と合わさり、ダイナミックな供花「立花」という様式が成立します。大きく供えるものでありしっかりといけるために、花を留めたりコントロールする技術が一気に発展しました。
これが現代に続く花道・いけばなの様式的な原点です。
そこに芸術、芸能の才に優れた「同朋衆」という人々が現れ様式化が進んでいくのです。
自然を愛おしむ日本人ですから、供花以外の花も様々にいけられてきました。掛け花は装飾性高く、壺には依代的にいけられるものが多かったようです。依代の影響から、花を高くいける、高くいけるから姿が見える、姿が見えるから違いが現れ、同じものがないからこそ一本一本の花との真剣なやりとりが生まれました。
そして仏教という求道的な修行環境のおかげで技を磨く余裕ができ、さらに深く花と付き合い様式化されるまでになったのです。

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本日は実技として「依代」「立て祀る花」をいけていただきます。
とにかく、立てる事に拘っていただきます。
何度も立てていくことにより、八百万信仰の思いを少しでも感じ、あわよくばこの白白庵に花の神様やうつわの神様をお招びしたいと思います。

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【使用花材】
・デルフィニウム
・シネンシス
・アジサイ
・ベルテッセン
・ドウダンツツジ


(2019年7月 山田尚俊作成の講座資料より書き起こし)

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第1回の花器は富田啓之「スーパーノヴァ」シリーズの限定オリジナルVer.。

「『立て祀る花』ということでしたので、当初は立て易い形状の花入にしようと思っていましたが、山田さんから”あまりそういうことは気にせず、より作家性の強い作品にして欲しい”とのリクエストがありました。単に道具というより『依代』という部分を強調したかったのだと思います。
ですので、この一連のワークショップの初回、幕開けにふさわしい形は自分の制作のテーマでもある、「スーパーノヴァ」と呼ぶこのシリーズで作ることに決めました。
内部構造が複雑であるため、参加者の皆様も立てるのに苦労なさったであろうと思いますが、花が入った姿はスーパーノヴァならではの、ダイナミックな造型になったかと思います。」(富田啓之)



山田 尚俊 YAMADA Shoshun
華道家

高校時代、展覧会で大和花道家元下田尚利のいけばなに魅せられて、弟子入りする。
高校卒業後、テクノ・ホルティ園芸専門学校フラワーデザイン科に進学、花と関わる仕事を模索するが、いけばなの仕事以外は考えられず、一般社団法人大和花道会に就職、華道家として活動を始める。
2010年 大和花道会会長就任を契機に活躍の場を拡げ、家元助手として培った技術に裏打ちされた作品は高い評価を得ている。
いけばな協会理事、公益財団法人日本いけばな芸術協会理事として華道界発展に努める。

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